六甲伯友会の思い出

六甲伯友会8期生(昭和26年3月卒業)の山田康之です。会員名簿の24ページに私の名前が出ております。

当時は武宮隼人校長先生で増田伊太郎先生などおられ戦時中ならびに敗戦後の動乱期に旧制六甲中学に入学し、新制の六甲高等学校を卒業いたしました。日本自身が本当に混乱の中、私は六甲学院にて良い精神教育と勉学に勤しむことが出来た事は幸いでありました。

私の父は山田祥三と申しまして、当時旧制六甲中学校の図画の教師をいたしておりました。六甲伯友会会員名簿(2016年度版)13ページの逝去者の中に出ております。私の父は日本画の教師でして、上沼俊次先生が洋画の教師でした。その頃、父が描いた葡萄棚の絵が毎日新聞社賞を得まして六甲高等学校に寄付した記憶があります。

私は六甲高等学校卒業後、京都大学農学部に進みその後、ミシガン州立大学にフルブライト研究生として渡米、帰国後京大教授を経て、国立奈良先端科学技術大学の学長で定年に至りました。その後、社会福祉のための仕事をいたしております。

研究の方は良き共同研究者に恵まれ日本学士院賞を頂き、さらに米国立科学アカデミーとスエーデン王立科学協会の外国人会員にも選ばれ、平成24年文化勲章受章者に選ばれました。(奈良先端科学技術大学院大学山田康之ホームページ参照)これらは全て六甲の基礎教育と負けじ魂の結果として、感謝しております。京大教授の時に武宮校長先生から在校生に話をしてくださいということで、参ったことなど夢のように思い出されます。

現在は85歳になりあまり遠方に出歩くことも困難となりましたが、六甲学院の益々の発展を遠くから見守り、祈っております。高齢になり厳しく育てられた六甲精神を今も思い出しつつ、懐かしい六甲高等学校について書かせていただきました。