23期リモートクラス会騒動記
- 開催日時:
- 2021年2月11日午後2時〜
- 場所:
- リモート(ZOOM)
- 参加者:
- 東、今井、岩井、莵原、太田、大谷、嘉治井、木村、木元、粂田、近藤、志垣、清水、庄谷、高木、田中、西林、丸尾、前川、南川、谷津、安成、山中、山南、和田康、湯川
コロナ禍で俳句の句会さえもリモートで開催されるという昨今「きごさい」というリモート俳句会に我が23期の安成君が講義するという情報を見つけ参加しましたが「この方式を使えばクラス会も出来るなァ」と単純に思い「10日後にリモートでクラス会を開きます」とおっちょこちょいにもメッセージを出してしまいました。
しかし準備を始めるとZOOMでのリモートクラス会を設営するには、事前登録、入室時の暗証番号、家賃、時間制限など様々な問題が噴出しクラス会開催は暗礁に乗り上げました。
そこで「困った時の伯友会」で、山本副会長や松下委員長にSOSを出した所豪華客船並みの助け舟を出して貰い、運営のレクチャーを受けながら何とか開催に漕ぎ着ける事が出来ました。
2021年2月11日午後2時より総合地球環境学研究所所長 安成哲三君の「アジアモンスーン気候と日本の風土」というテーマで1時間半ほど講義して貰い、30分の質疑応答、それから4時より1時間のクラス会を開き大変有意義な3時間を過ごす事が出来ました。
74歳のおっちょこちょいの幹事の騒動に参加してくれた人々26名感謝です!
東、今井、岩井、莵原、太田、大谷、嘉治井、木村、木元、粂田、近藤、志垣、清水、庄谷、高木、田中、西林、丸尾、前川、南川、谷津、安成、山中、山南、和田康
そしておっちょこちょいの幹事 湯川晶月でした。
「煮凝りや形あるすべて崩れ去り」晶月
安成君の講演会の映像
参考・安成資料(PDF)
22期会
- 日時:
- 2019年9月23日
- 場所:
- 神戸ベイシェラトンホテル
- 参加者:
- 秋山直英、有吉英二、伊藤真人、浦谷良美、北徹、近藤俊介、榊山良一、鈴木伸典、砂川良和、高田明、月原信夫、辻禮治、戸田豊、西崎雪夫、濱田敏夫、林千尋、松原秀夫、多田和郎(19名)
2019年9月23日(秋分の日)に、神戸ベイシェラトンホテルで、22期会を開催しました。いつものように、昔話で旧交を温め、さらには近況を交換して、「新たな人生への挑戦」への想いを分かち合いました。
参加者は、秋山直英、有吉英二、伊藤真人、浦谷良美、北徹、近藤俊介、榊山良一、鈴木伸典、砂川良和、高田明、月原信夫、辻禮治、戸田豊、西崎雪夫、濱田敏夫、林千尋、松原秀夫、多田和郎の19名です。
今回は久しぶりに、北徹君が参加してくれて、皆の健康相談や終活?の相談に応じてくれました。
林君は毎回、タイ国からの参加です。幹事として多いに感謝しています。
最近は毎年のことですが、幹事としては台風の進路予想に気をもみました。このままでは来年も幹事が気をもむことになるでしょう。何日も前から、中止の場合の連絡網を確認したり、前々日、前日に、幹事間で頻繁に連絡を取り合って、決行を決めるなど正直大変でした。
来年の懇親会の幹事は、濱田敏夫から、浦谷良美君に交替することになります。浦谷さん、宜しくお願いします。
来年も全員無事に再会したいという願いを持って散会しました。
濱田敏夫記
22期会
2018年9月24日に、神戸ベイシェラトンホテルで、22期会を開催しました。いつものように、昔話 で旧交を温め、さらには近況を交換して、「新たな人生への挑戦」への想いを分かち合いました。
参加者は 秋山直英、伊藤真人、五百住敬、大寺豊、太田和彦、小西順、榊山良一、猿谷正浩、鈴木伸典、砂川良和、 高田明、多田光男、谷岡研、辻禮治、戸田豊、西崎雪夫、野口恵司、濱田敏夫、松原秀夫、三島秀樹、森川 嘉郎の21名です。
まず、思いも掛けず、この1ヶ月の間にみまかった、近藤吉美、宇川裕両君のための黙祷、瞑目を行いまし た。更に、両君の霊の安らかならんことを期して、両君の霊への献杯と、本日の参加者の去年からの再会を 祝しての乾杯を合わせて行いました。 しばらく歓談。その後、野口君の瑞宝双光章叙勲のお祝いのための本日2回目の乾杯を行いました。
その後、各自近況報告。 今回、直近で台風襲来や、北海道地震があったためか、来年も無事再会したい、という発言が多く見られま した。その他は、近く孫が宝塚音楽学校を受験する、という孫自慢等。次いで病歴の紹介が多かった。更に 生涯年金を五箇所から貰っているという年金自慢。さらに近所のゴミ出しのボランティア活動。まだ現役で 働いているというのも結構いました。医者の発言には「終活は大切だよ」、というのもあった。
来年も全員無事に再会したいという願いを持って散会しました。
22期同期会
- 開催日:
- 2017年9月24日(日)
- 場所:
- ベイシェラトンホテル
- 出席者:
- 秋山、有吉、伊藤(真)、浦谷、太田(和)、大寺、楠田、児島、近藤(俊)、近藤(吉)、榊山、鈴木(伸)、砂川、高田(明)、多田(和)、谷岡、月原、辻、戸田、西崎、濱田、林、松原 以上23名
ちょうど20年前に50歳を記念して、八ヶ岳の麓のペンションで同期会が開催されました。その後、濱田さんの幹事のもと、10年前から1年に1回定期的に執り行われております。皆勤の方も4、5名いらっしゃるとか… 今回は前回に比べ参加人数は減りましたが、それでも23名が集うことができ、楽しい時間を過ごすことができました。6,7名の方がまだ現役(老体に鞭打ち?)で頑張っておられたり、リタイアされた方も多方面でボランティアに参加されており、非常に頼もしく思いました。
また、今回は黙祷がなかったのが「何より」でした。
タイから帰国して参加された方や、東北、関東から遠路はるばる参加された方もおり、大いに盛り上がったことは言うまでもありません。卒業後52年の年月が経っているにもかかわらず、その年月がまるでなかったように、いつものように「お前・俺」での会話が一斉に始まりました。
乾杯の後、恒例の全員の近況報告がスタート。歳をとると話が長くなるせいか、宴会の終わりの時間まで続きました。毎回幹事が「手短にお願いします」と注意を促すのですが、同期の諸兄は細かいことは全く気にせず、わが道を突き進んでおりました。しかしながら、聞いている諸兄も何も気にせず(聞いてない?)、始終和やかな雰囲気でした。(幹事の「手短にお願いします」は結局、合計22回聞いたような気がします。笑…)
近況報告の内容ですが、お察しの通り80%はご自分の病気・入院・手術の話でした。中には今でも、毎日日本酒を1日に5合飲んでるという猛者もいて、糖尿の気のある他の連中(少なくはない…)から非難・意見を浴びているシーンもありました。そういう同期の状態に「これは放ってはおけぬ」と思ったのでしょう。医者をやってる同期
の近況報告が、いつのまにか「生活習慣改善」の講義に変わってたりして…
しかし、殆どの方が何かしら問題を抱えてるにもかかわらず、みんな明るく前向きに人生を楽しんでおられる姿勢が感じられ、感動さえ覚えたのは私だけでしょうか。
予定の2時間はあっという間に過ぎ、来年の再会を期して終宴。同期のみなさん、とにかく健康が第一です。某医者の言う通り、太陽に当たり歯・目・XXに気を付け、来年また元気に集まりましょう。
幹事のみなさんいつもありがとうございます。
(西崎雪夫記)
2016年度22期同期会報告
2016年度の22期同期会は9月25日の日曜日に、14時から神戸ベイシェラトンホテルで開催し、26名が参加しました。昨年9月26日(土曜日)に同じ場所で開催して以来約1年ぶりです。昨年は卒業以来50年という節目の年でもあり50名もの参加だったので、今回は少しさみしかったです。
今回も、各員への案内にあたって、故野田哲夫君のアイデアと指導で作成したGoogleのGroupサービスを活用しました。これは、各メンバーが互いにその他の全員に対して容易に情報を発信できるものです。昨今問題になっている個人情報の保護もしっかりできています。これを使って、参加を呼びかけ、しかも、何回も中間集計を出すことで、関心を高めて、過去何回もあった「忘れ不参加」をなくしました。
e-mailアドレスをもっていないメンバーへは、またまた、伯友会事務局に大変お世話になりました。案文を送付するだけで、それを往復はがきに展開して送付までして頂き、非常に楽でした。ありがとうございました。
当日の進行役は野球部の榊山良一君、受付会計は、硬式テニス部の近藤吉美君とバスケット部の多田光男君が務めてくれました。近藤君は写真係も努めてくれました。辻君にも全般的にお世話になりました。皆さん、ご協力有り難うございました。
今回も一番遠方からの参加者はバンコックからの林千尋君です。体感温度はバンコックよりも神戸の方が高い、とのことです。バンコクは住みやすいので来てみる価値がある、とのこと。来年も参加するとの意思表明をしてくれました。
次いで遠方からは仙台からの楠田君。ボランティアで若年者の就職支援活動をしているが、それがきっかけで新聞販売店から人手不足を理由に、自分自身が新聞配達を頼まれ7年目。これが健康の秘訣のようです。
その他各自の近況報告で印象に残ったことは、中村紘子の最後の演奏会を淡路まで聞きに行って「迫真の演奏」だった、と報告してくれた、坂尻君。「孫がズカジェンヌの予備校で特待生になった」と鼻高々の辻君。監督をしている関学準硬式野球部の投手がプロ野球のドラフト指名にかかりそうとの伊藤真人君。「北須磨教会で、キリスト教2000年史の講座を3年続けている。まだ半分以上の講義資料が残って居る」、という保坂君。近藤君の硬式テニス部OB会設立の苦労話、等々。
来年も是非この時期に懇親会を開こう、と言うことになりました。その日まで皆さん、お元気で。
(文責:濱田敏夫)
22期生卒業50周年記念同窓会
- 開催日
- 平成27年9月26日(土)
- 参加者
- 母校見学会36名 懇親会49名
我々が卒業してから早いもので50年、記念に残る同窓会にしようということで企画された今回の同窓会は第一部が母校見学、第二部がベイシェラトンホテルでの懇親会、それと記念に企画された記念文集作成の三本柱でした。
先ず文集は前年夏、「来年は卒業から50年の同窓会に記念に残る催しとして何かいいアイデアはないか」という幹事の呼びかけに同期の横田君からの提題で記念文集案が出され、西宮の焼き鳥屋や三島君のマンション集会所で何回にもわたって協議し、当初余り乗り気で無い人もいたが、予算の策定、表紙や題字の具体案等検討を重ね29名プラス山下健司先生からの原稿が集まり、文集が無事できあがりました。表紙の校舎の絵は市山君、題字は尾市君、その他卒業アルバムより写真を借り、81頁に及ぶ立派な文集「卒業50年に思うこと」が出来上がったのは、同窓会開催日の丁度一週間前でした。
迎えた同窓会当日、午前の母校訪問に出席してくれたのは36名、先ず武田総務部長に学校の最近の状況説明をして貰い、その後講堂や新校舎を案内して頂きまし た。特に私たちの時代無かった給食を利用し、美味しい昼食を味わえたのは新鮮でした。又、授業風景見学では私たちの時代おられなかった女性の先生の授業を見せて頂き、時代の流れを感じると共に、ああいう先生に教えてもらえると、さぞ良く勉強出来るだろうと羨ましくもありました。又最上階の図書室での大パノラマ風景には圧倒されました。屋外に出て一番に眼に入ったのはすっかりかっこ良くなった人工芝のサッカーグラウンド、次に自然を満喫した庭園を見て回り、昔を思い出し年月を重ね緑濃くなっている風景に感心しました。最後にスポーツを楽しんだ第三グラウンドにも足を運び若かりし頃の懐かしい思いに浸りました。
午後3時より場所を変え神戸ベイシェラトンでの懇親会、50年の節目ということもあり昨年より13名も増え48名が集いました。又、来賓には在校時国語を教えて貰った山下健司先生にもご参加頂きお言葉を頂戴しました。尾市君、近藤君をはじめ卒業以来、初めて会う人、海外より駆けつけてくれた人、遠く東北からの参加者も有り、いつも通り全員が順番に近況報告すると共に、懐かしい話に花が咲きあっと言う間の時間でした。近況報告中には、来年美術部の仲間が集まって展覧会を開催するという元気な話題も決まりました。来年元気でより多くの人が集えるよう祈っています。
会の企画、運営に携わってくれた幹事、司会他の皆様に感謝致します。
伊藤眞人
2014年度22期同期会報告
2014年度の22期同期会は9月15日敬老の日に、13時から神戸ベイシェラトンホテルで開催し、35名が参加しました。全員が家族にお祝いをしてもらえる立場なのに、それを辞退しての参加ということです。昨年10月27日に同じ場所で開催して以来約1年ぶりです。昨年は30名だったので、今回は5名増加です。
今回も、各員への案内にあたって、野田哲夫君のアイデアと指導で作成したGoogle のGroup サービスを活用しました。これは、各メンバーが互いにその他の全員に対して容易に情報を発信できるものです。昨今問題になっている個人情報の保護もしっかりできています。これを使って、参加を呼びかけ、しかも、何回も中間集計を出すことで、関心を高めて、過去何回もあった「忘れ不参加」をなくしました。
e-mail アドレスをもっていないメンバーへは、伯友会事務局に大変お世話になりました。案文を送付するだけで、それを往復はがきに展開して送付までして頂き、非常に楽でした。ありがとうございました。
当日の進行役はサッカー部の辻禮治君、写真係は近藤吉美君、受付会計は、多田光男君、三島秀樹君が務めてくれました。開会に先立ち、この集まりの直前に逝去された河内淳君に、彼を偲んで黙祷を捧げました。
今回、一番遠方からの参加は秋田県から参加してくれた飯島寿佐美君です。関西地区以外からの参加者は7人と多く、彼らは前日、翌日のゴルフを楽しんでの本日の参加者が多いです。
今回の「血湧き肉躍る新たな挑戦」の紹介は、1)大学の女子バスケット部のコーチをしているという三島秀樹君、2)大学の準硬式野球部の監督を引き受けたという伊藤真人君、3)フルマラソンに挑戦しようという猿谷正浩君、4)六甲時代は運動部だった、坂尻好朗君と濱田が坂尻編曲のギターとフルートの二重奏に挑戦したこと、等です。その他各自の近況報告で印象に残ったことは、1)東北の被災地の現状はまだ、「整地された」という段階だと報告してくれた仙台から参加の楠田徹彦君、今は就職支援を行っているそうです。2)卒業以来しばらくぶりに母校を訪問したら、クラブが廃部されてショックを受けた軟式テニス部の高田明君。最古の運動部だそうです。今上天皇の皇太子時代のご成婚時のミッチーブームでは一学年150 人中、100 人が入部して、佃先生から「サッカー部にも回せ」とこっぴどく叱られたという程の名門クラブだったのに。3)対照的に、昨年の改築で人工芝の専用グランドを貰って喜んでいたサッカー部の辻禮治君、宇川裕君、伯友会中部支部の役員をしている久しぶり参加の三宅譲治君。4)陸上競技部のこの会への出席率が悪いので、来年こそは出席者を増やしたい、と言ってくれた大寺豊君。5)父親がエジプトのハイレシェラセ皇帝の侍医をしていたが、政情不安で危険になり、辞して日本へ帰り、海星病院勤務となったのをきっかけに、六甲へ中3で編入となったという逸話を紹介してくれた、北徹君。
来年2015年は卒業以来50年となるのでそれを記念する集まりを開こうとの提案については、宴会の前に、六甲学院の校舎の見学を取り入れることになりました。昨年の校舎改築を見ていない者も多く、満場一致で了解しました。(文責:濱田敏夫)