75歳でのキリマンジャロ挑戦
2019年9月3日~9日 20期 瀬川 滋
1.はじめに
山は、中高時代は放送部(現物理部)に所属していて六甲山に登る程度だったし、大学時代も殆ど登ることはなく、NEC就職後から始めた。NECと関連会社社長時代そして定年後勤めた太成学院大学(大阪・堺市)教授時代に休みを利用して山に登り、国内では日本百名山・日本二百名山・各県最高峰踏破等北は北海道・利尻岳から南は石垣島・於茂登岳まで数々の山に登ってきた。しかし海外ではヒマラヤトレッキング(エベレスト街道・アンナプルナ)、カナダ・ウィスラーへのスキー登山、東南アジア最高峰のマレーシア・ボルネオ島のキナバル山(4090m)、台湾では嘗ての日本最高峰の玉山(新高山,3952m)と二番目の雪山(次高山, 3886m)そして武陵四秀(品田山,3524m)に登った程度である。2018年の山仲間の集まりで、
- 海外の山に年1回は登ろう
- 次はどうせ登るならアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロに最も雨の少ない乾季に、メンバーが高齢なので高度調整ルートを、ついでにサファリも堪能するということが決まった。
最高齢だったので躊躇したが、即決断して手を上げ、今般登ってきたので、以下報告する。
2.キリマンジャロ(以下キリマと略す)
アフリカ最高峰。東アフリカ中部のタンザニアの北東部にあり、独立峰としては世界で最も高く、西から東へシラ峰(3962m)・キボ峰(5895m)・マウエンジ峰(5149m)が連なる。最高峰のキボ峰山頂には直径2.5kmのカルデラと、その内側に直径900m火口があり、最高地点はこの大火口の南縁にある。主な登山ルートとして以下のものがある。
- ①マラングルート:通称コカコーラルート、唯一山小屋が完備され、水場がきれいで、トイレもほぼ整備され、最も難易度が低く人気は最も高い。
- ②マチャメルート(下りはムウェカルート) :通称ウィスキールート、景色が壮大でキャンプ地のロケーションも最高で、2番目に人気がある。
- ③レモショルート(下りはムウェカルート) :最も美しいルート。西の果てから登るため行程が長くて体力が必要、最初から最後まで植生が美しい。
- ④ロンガイルート:ケニア側(北側)からのルート:爆裂火山を北側から見ることが出来、美しい。
3.出来上がった計画概要
- 9/1伊丹発羽田・ドーハ経由9/2キリマ空港着
- 9/3~9/9 キリマ登山
レモショルート 6泊7日(全テント泊)、テント以外は全て個人装備で日本より持参、ポーターに預ける荷物は15kg/人以内 - 9/11~9/13 サファリツアー 2泊3日
- 9/14 キリマ空港発ドーハ・成田経由9/16伊丹着
4.手を挙げた登山メンバー
男子6・女子2名、平均年齢67歳。内2名は現役医師。山経験はそれなり5名、まあまあ3名。全員高山病・気温差(下は熱帯、頂上は-10~20°)・血圧への影響・体力・伝染病等高齢による懸念大。
5.高齢登山への対応
- しっかりした高度トレーニング:メンバーの内5名は標高0m(富士市)からの富士登山、悪天候で7合目で中断。私ともう1名は剱岳(3年振り)の北ア三大急登の1つ早月ルート(馬場島750m~剱岳2999m、32年振り)に挑戦。
- 高山病対策:予防薬(ダイアモックス、ザルティア)の服用(←医師のお陰)。それに禁酒・禁煙、腹8分目、十分な水分摂取、ゆっくり歩く、意識的な深呼吸、完全な寒さ対策、昼寝厳禁等の一般常識の順守。
- 気温差対策:持っている雪山装備フル稼働、義父形見のラクダの下着まで動員。手袋は3ウェイ
- 乾燥対策:喉が渇いてなくてもこまめな水分補給。
- 紫外線対策:帽子、サングラス、日焼止・リップクリーム必携。
- 予防注射:タンザニアは予防注射不要。しかし高齢で不安なため大阪検疫所に是非にと3回申し込んだがワクチン不足で断られ、止む無く断念。
- VISA取得:入国にはVISA必須。現地空港で取得可だが大変な混雑という。偶々友人が名誉領事(鴻池組名誉会長)と昵懇なので大阪の領事館(鴻池組ビル内)を訪問・懇談。眼前のサインでVISA受給。名誉領事の姿にリトアニア領事館でユダヤ人に大量発給した杉原千畝元領事を彷彿とさせられた。
6.行程
9月1日(日):伊丹20:20発、羽田経由
9月2日(月) :ドーハ(カタール)経由キリマ空港14:00着、空港からモシのリンドリンロッジへ。
ガイドから登山のオリエンテーションを受ける。
9月3日(火) :Lemosho Gate(1800m)~Mti Mukbuba Camp (2650m), 6km
車で管理事務所に向かい、荷物の計量検査を受け、更に車でLemosho Gateに向う。同ゲート14:00発。熱帯雨林の中を、日本とは違う高山植物を楽しみながら猿の沢山いるMukbuba Camp16:45着。既にテントが設立されており、運んで貰った荷物をポーターから受取って宿泊準備後、夕食。
9月4日(水) :~Shira2Camp (3850m),16km
8:00出発、樹林の中を植生の変化を楽しみながら歩く。樹林を脱すると視界が開け、広大なサバンナが広がり、その奥にキボ峰(キリマ本峰)の全容が姿を現す。13:30 Shira1Camp(3610m)着。途中車道(レスキュー用道路?)と交差。やがて日が沈み始め、キボ峰のアーベントロート(夕照)が美しい。19:00 Shira2Camp着
9月5日(木) :~Barranco Camp (3900m),8km
8:40出発。ゆっくりゆっくり登る。やがてメンバーの1名の歩きが怪しくなり、ガイド・リーダーより下山の宣告。止む無くガイド1名がつき昨日の車道まで下り、本人は車でモシのロッジへ。残る7名で登山。キボ峰が徐々に大きくなり、氷河の白さが浮き立ってきれい。大きな岩がランドマークのようにそびえ立つラバタワー(4642m)まで一旦登って700m下る。勿体ない。下り道にはジャイアントセネシアの林があり、こんな高山なのに林なんて考えられず大感慨。18:40 Barranco Camp着。
9月6日 (金) :~Karanga Capmp (4050m),5km
9:30に出発するとすぐに急壁を登る。一番の難所というがそんなに難しくない。12:10に4250mの峠に着き、今度は谷底まで下る。ジャイアントセネシオの群落が続き、タンザニアらしい世界が広がる。だらだら下って少し上ったら15:00 Karanga Capmp着。途中のアップダウンの繰返しがきつかった。夕方麓のモシの街の夜景が望められた。夜になるとキボ峰の黒に氷河の白が浮び上り、コントラストが美しい。見上げれば満点の星。オリオンは分ったが、見えるはずのサザンクロス(南十字星)がどうしても見つけられなかった。あ~あ、残念無念。
9月7日 (土):~Barafu Camp (4700m),4km
一部のポーターが別ルートで下山し全員揃うのは最後というので、スッタフ全員で労いのお別れダンスが始まる。我々も参加するが、息が切れて途中でギブアップ。彼らは強い。キャンプ場9:20発。道をだらだら登る。いよいよ頂上に手が届き、明日登る道も辿れる。キャンプ場としては最高地点のBarafu Camp 13:20着。狭い場所に沢山のテントがひしめき合い、岩場の隙間を選んで張られている。空気が薄くてトイレに行くのも苦しい。着いてすぐのミーティングで、「21:30頃軽い食事を取り23:00には出発」と告げられ、登頂の支度をして15:30頃から仮眠。
9月8 (日) :~頂上Stella Point(5756m),4km~Mweka Camp (3090m),12km
前夜23:00まばゆいばかりの星空の下、出発。先行するヘッドランプの光が延々と山頂に向かって続いている。見上げる程高い所にも明かりがあり、あそこまで行くのか~と気が遠くなる。最初は岩場で、暗闇の中、足下に気をつける必要があったが、間もなく砂地のジグザグ道。何も考えず一歩一歩進める。やがて朝焼けで辺りが明るくなってくる。6:00マウエンジ峰の向うからご来光。雲が多くあまりきれいでない。残念。歩けど歩けど変化のない登山道は精神的にきつい。空気が薄いためか5700m付近まで来ると、急に足が上がらなくなり、しんどいを実感。這う這うの体で5756mStella Pointに到着。標識にはCONGRATULATIONSとある。富士山を吉田コースで吉田口頂上(3710m)まで登ると富士山に登ったと言えるのと同様、ここまで登ると登頂証明が貰える。やったー!!正にその一言に尽きる。ここからアフリカ最高峰の頂上Uhuru Peakまではまだ1.5時間位かかる。ここまでの上りにリュックを担いで貰ったり、身体を支えて貰ったりしてやっと登った者もおり、とても頂上まで行けそうにない。そんなことでここでTheEndを決断。暫く登頂の感慨に耽ってからの下り。下り専用のザラザラの急斜面の砂道、前のめりになって転げ落ちそうになる。やっとのことで下り切った所に、バラフキャンプで待機のポーターがジュースを持って迎えに来てくれた。その旨かったこと、やっと活きた心地がした。キャンプで小休止の後の長い長い下り。途中にヘリポートが有り、所々に一輪車も置かれている。多分高山病等で歩けなくなった人のレスキュー用だろう。この日は風が強く、それで砂が舞い上がって目や喉が痒い。やがて亜熱帯林の中を歩くが、日が暮れて真っ暗。ライトを照らしても歩き辛い。20:00、やっとMweka Campに到着。この日は本当にきつかった。
9月9日 (月):~Mweka Gate (1680m),10km
7:30出発。少し下ると林道に出、歩き易くなる。11:10Mweka Gate到着。長い長い辛くて楽しかった登山もこれで終わりかと思うと胸がジーンとくる。下山届後、車で15:00にリンドリンロッジ着。先に下山して我々の到着を首を長くして待っていた者が顔をくしゃくしゃにして出迎えてくれた。1週間振りにシャワーを浴び、汗と埃と砂を流した後、久々の全員揃っての夕食。ビールの旨かったと、至福。
9月10日 (火)~9月13日 (金)
3つの国立公園でサファリ見学(詳細省略)
9月14 (土) ~16(月)
キリマ空港16:00発、ドーハ、成田、羽田経由、ささやかな打上げ会後伊丹空港16日8:25着
7.登山生活
- 登山者8名+スタッフ30名(4ガイド+2コック+24ポーター)→計38名の大所帯
- テント:登山者用4+ダイニング用(8人揃って座れる椅子・机も)1+調理用1+スタッフ用?
- 登山用個人装備:登山には水3L、防寒衣料、雨具、非常食、ヘッドランプ、カメラ、ストック等持参。それ以外はポーターに預ける。
- 夜:洗顔用湯→ダイニングテントで夕食・血中酸素測定・ミーティング→個々のテントで就寝
- 朝:モーニングコール→洗顔用湯→茶(コーヒor紅茶)→預ける荷物提出→ダイニングテントで朝食・血中酸素測定→当日持参用湯配給
- 昼:先行・設定されてるダイニングテントで昼食
- 食事は朝・昼・夕3食共フォーク・ナイフのフルコース料理(スープ、肉料理、麺・パン等、フルーツ、茶)
- 水は近くの流れを汲み上げ、煮沸消毒して利用
8.登山者像
- 日本人とは全く出会わず東洋人は韓国の2パーティのみ、その他は全て欧米人
- 多分距離的に近いヨーロッパ人が殆ど?、それも20~30歳代ばかり
- 中にはスポーツブラ・短パンスタイルのギャルもおり、ここがキリマかと目を疑うばかり
- 「じじばば」はどこにもおらず我々のみ
- 宿泊名簿を見る限り75歳は最高齢
9.ポレポレ(スワヒリ語、SlowSlow)
- 歩くペースはとにかくゆっくりゆっくり、高山でバテない(高山病予防の)歩き方の極意
- 対面・追越しの登山者も「ジャンボ(こんにちわ)」より「ポレポレ」と声を掛け合うことが多い
10.スタッフ
- ガイド(4人):会話は全て英語。歩くペースを先導。高山病等に常に配慮。弱っている者に対して背中の荷物を分担してくれたり、リュックを肩代わりしてくれ、時に腕や肩を貸してくれる。とにかく頂上を踏ませるんだという気概が凄い。リーダーは常に明るいコミュニケーションに気を使い、時には厳しく下山指示まで行う。
- クッカー(2名):登山者のフルコース料理に加え、スタッフ全員分の調理や、洗い等も行う。
- ポーター(24名):1人当り上限20kgの荷物を預かる。他にテント・食事の材料(全行程・全員分)等に加え自分用荷物も運ぶ(結局40kg位/人?)。入山時にポーター荷物の重量チェック有(←過酷な仕事ゆえ、身体を壊すことの防止)。テントの設営から撤収までも行う。テント撤収後、重い荷を頭に担いで登山者を追い越して目的地に先に到着し、テント設営して到着を待つ。水の無い宿泊地では近くの水場から水を運び上げ、場合によっては前のキャンプ地から運ぶ。
- スタッフは意外に薄給らしく、チップに頼っている。その配分は全てガイド・リーダーの権限。
11.気候
- キリマ山麓、サファリ共冷涼な気候。昼間は暑くても湿気が無いので日陰は快適。感覚的には日本の軽井沢の気候。半袖・半ズボンは不向き、総じて「ここが灼熱のアフリカか?」って感じ。
- 山は昼間は移動しているのでそこそこだが、夜は寒い。標高4000m付近ではシュラフ・シュラフカバーは勿論暖かい下着にダウン着用で寝る。標高4700mでは身体の要所にカイロを張った。
- 標高5700m付近は酷寒。気温はー10°(体感温度はもっと低い、手袋を脱ぐと指先が紫色に)
12.レスキュー
体制がしっかりしており、その費用は入山料に含まれている。場所により車かヘリコプターで下山させる(そのための林道とヘリポートが完備)。そこまで運ぶための一輪車(運ぶ人は大変だが、運ばれる人の負担が少いという)が随所に配置。保険は海外旅行保険で良く、山岳保険は不要。
13.おわりに
75歳でのキリマ登山、5700m超では、どこも痛くないのに今まで経験したことの無い苦しさを味わった。しかし高山病対策とはいえ、最も長く、美しいルートを歩き、キリマの様々な姿(アーベントロート、ご来光、白く浮かぶ氷河、4000m近くに広がるジャイアントセネシアの群落等々)が眺められ感無量。また登山人生最高地まで登れて感慨一入。1人アウトだったが残る7人が全員無事登頂出来て至福。そして最初から最後まで尽くしてくれたスタッフの気概、全てが最高だった。それにしてもイギリスが築いた登山文化が徹底されていることを改めて実感した山行でもあった。それと今回の登山を支えてくれた全ての人に感謝・感謝。それもこれも健康あってのこと、近所の山への毎日登山のお陰でもある。