2025年度六甲伯友会総会・懇親会受付はこちら
2025年度六甲伯友会総会・懇親会は下記日程・場所で幹事期57期により開催されます。
みなさまお集まり頂き、大いに盛り上がりましょう!
日時 2025年5月10日(土)
場所 ポートピアホテル
平成塾 12:30~14:30(12:00受付開始)
総会 15:00~16:00(14:30受付開始)
懇親会 16:30~18:30(16:00受付開始)
下記からお申し込み下さい。(*部分は必ずご記入願います)
六甲伯友会のオフィシャルサイトです。
2025年度六甲伯友会総会・懇親会は下記日程・場所で幹事期57期により開催されます。
みなさまお集まり頂き、大いに盛り上がりましょう!
日時 2025年5月10日(土)
場所 ポートピアホテル
平成塾 12:30~14:30(12:00受付開始)
総会 15:00~16:00(14:30受付開始)
懇親会 16:30~18:30(16:00受付開始)
下記からお申し込み下さい。(*部分は必ずご記入願います)
書名「同性愛」二つの見解
メ―ガン・K・デフランザ他著
大頭眞一(36期)他訳
発売元 いのちのことば社
価格 2,600円+税
内容【帯より】
神が創造された「男と女」をどう読むのか?
「同性婚」に向き合う肯定派と伝統派の論点
教会で冷静に対話をするための基礎資料
(文責:36期 大頭 眞一)
17期生 同期会「いつもの会」
開催日:2025年3月25日(火)
場 所:點心茶室(国際会館 9F)
参加者:浅井、小川、反橋、高田、南谷、平林、森、福田
欠席者(連絡有):井上、岩津、岡田、岸、菅、鈴木、瀬尾、松井、山崎、
2025年度最初の同期会 参加者はとうとう10名を切ってしまった。
常連の菅、松井の欠席はやはり物足りない。欠席利用が”あっちが悪い、
こっちが悪い、検査、入院など”で、80歳も超えると当たり前かと
仕方なく納得。参加者が5名以下なら開催しないとの提案有り。
久しぶり参加の浅井君が”最近まで毎年伯友会 上高地に行った”との話から
旅行の話で盛り上がった。次回は7月開催だけど何人参加できるやら?
(文責:17期 福田)
上記リンクをクリック→ダウンロード
34期同期会
日時:2025年3月15日(土)15時
場所:新大阪ワシントンホテル
参加者:岩井直行先生、(Z)井関泰文、伊井康高、乾全喜、(Z)上田博之、大加戸彰彦、大畠康平、加藤賛、加藤博、鴨志田泰、斉藤彰、佐々木裕、佐藤俊介、(Z)城江信彦、正伝二生、高田明、鶴田博己、徳尾野信哉、中村俊一、野田良、吉村良一、畑辺真一、(Z)長谷部斉、原田英一、藤岡英明、松浦豪、安光立也、山村方人、山本隆夫、和田隆、林豊((Z)はZoon参加)
鶴田キャプテンを中心に2012年からコロナの時期を除き毎年行われている34期の同期会を、司会大畠さん、運営藤岡さんにより開催しました。ご健勝である岩井先生の乾杯で開幕、全員から本人並びに、不参加の同期の近況をお話し頂きました。1977年に六甲を卒業した186名の仲間は、既に13名が鬼籍に入られています。
リアルメンバーは、そのままの勢いで2次会に突入し、和気藹々の懇親を図りました。
次回は、来年2026年3月14日(土)、今回同様1500〜、新大阪ワシントンホテル、翌日ゴルフコンペの予定です。34期の皆さま、お誘い合わせの上、お気軽にご参加ください。
翌日は、以下の10名でゴルフコンペが行われました。
ゴルフコンペ
日時:2025年3月16日(日)
場所:宝塚ゴルフ倶楽部
参加者:伊井康高、大畠康平、加藤賛、佐々木裕、野田良、原田英一、松浦豪、矢島悟、山村方人
(文責:34期 林 豊)
引率教諭 国際交流担当 石崎裕二 鈴木史歩
ジョージタウン大学 正重海翔(82期)
芋原利和(82期)
スミソニアン国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館 竹村凜太郎(82期)
米州開発銀行(IDB) 正重海翔(82期) 吉岡一貴(83期)
世界銀行(WB)、OB交流会in D.C. 南條清斗(82期) 水原慶喜(83期) 大井遙斗(83期)
スミソニアン航空宇宙博物館 大井遙斗(83期) 津組隼輝(83期)
フォーダム高校、POTS訪問 岩本大士郎(83期) 津組隼輝(83期)
OB 交流会in N.Y. 川村陽斗(82期) 大嶋康太(83期) 中井大翔(83期)
クリストレイ高校、国連開発計画(UNDP)、国連本部 松岡史高(83期)
セントピーター高校、N.Y.散策常 松鼓太朗(83期) 土井大空(82期) 芋原利和(82期)
世界は広く、人類みな友 土井大空(82期)
二つの都市で学んだこと 今田亮太(82期)
ニューヨークの光と影 芋原利和(82期)
海外で学ぶ意義 川村陽斗(82期)
大都会の魅力 正重海翔(82期)
研修で得た気づき 竹村凜太郎(82期)
学校交流の意義 南條清斗(82期)
コミュニケーションツールとしての英語 吉田太一(82期)
自分の現在地 岩本大士郎(83期)
異文化との接触 大井遙斗(83期)
異国で得た気づき 大嶋康太(83期)
日常生活の大切さ 津組隼輝(83期)
教育の普遍性と地域性 常松鼓太朗(83期)
日常を疑うことの大切さ 中井大翔(83期)
OBからの刺激 松岡史高(83期)
多面的アプローチの重要性 水原慶喜(83期)
世界規模で物事を視る 森涼ノ介(83期)
世界は手の届く場所に 吉岡一貴(83期)
3月20日(水)から29日(金)までの期間で、82期8名と83期10名、教員2名・添乗員1名の総勢21名で、
今年度のNY研修を実施いたしました。昨年夏頃から現地卒業生と月1回、オンラインで打ち合わせを重ね、
ジョージタウン大学・米州開発銀行・世界銀行・姉妹校訪問といった本校独自のプログラムとともに、
スミソニアンのアフリカンアメリカン博物館や航空宇宙博物館・メトロポリタン美術館なども見学し、
参加者全員、非常に有意義な研修旅行となりました。
また現地での卒業生との交流会では充実した時間を過ごし、これからの人生の指針となる知見を得て帰国いたしました。
私個人は生まれて初めての東海岸、海外での生徒引率ということで不安と緊張とともに出発しましたが、
選抜された高校生とともに旅行する中で、高校生の時期にこのような経験ができる参加者たちは幸せ者だと思います。
ぜひこの体験を残りの六甲生活や今後の人生に活かしてもらえることを願ってやみません。
NY研修で得られる学びは、大きく2つにわけることができます。
ひとつは育った環境とは大きくかけ離れた国の文化に触れて得る学びであり、
もうひとつはその異国の地で現在進行形で活躍する本校OBから得る学びです。
今回から前半の行先がボストンからワシントンD.C.へと変更になり、後者の学びを得る機会が増えた結果、
以前よりも「様々な話を聞いて、それについて考える」プログラムになりました。
見るもの聞くこと全てが刺激に満ちた11日間でしたが、
私個人としては卒業生の皆様方の後輩を想う熱意に何よりも心を動かされました。
その想いを私以上に受け止めた参加生徒たちは、先輩方との懇親会での質疑応答を通じて
、自身の進路に対して大きな気づきと、モチベーションを得た様子でした。
次回以降の研修旅行でも、好奇心旺盛な生徒が積極的に参加してくれることを心より期待しています。
ワシントンDC2日目に訪れたジョージタウン大学について綴らせていただきます。
この研修で最初のプログラムであるジョージタウン大学の訪問ですが、
僕の報告記では主に午前中のお話をさせていただきます。
(午後のお話は別の生徒が書いているのでそちらもぜひ読んでください!)
ホテル近くの駅から地下鉄に乗り、降りた駅から約20分ほど歩いてジョージタウン大学に向かいました。
道中は古き良き街並みが広がっていて、Dr.Martensなどの日本でも見られるお店などもあり、少し親近感が湧きました。
到着してまず目に入ったのはまるでホグワーツ城のような立派な建物でした。あとから分かることですが、
この建物でも多くの授業が行われていて、こんな所に毎日来られるのかと思うと少し羨ましく思いました。
少し歩いて別の建物に入り、そこで六甲学院で勤めていらっしゃった先生の友人であるジョージタウン大学の教授の方と、
日本人現役大学生のお2人と会い、そのままアメリカで初めてのプレゼンをしました。
僕と土井くんと南條くんの3人でのプレゼンで、
あとからすることになる米州開発銀行や世界銀行でのプレゼンよりは楽しく出来た気がします。
その後大学生のアリッサさんとキャンパスを見て回りました。
ジョージタウン大学はアメリカ最初のキリスト教の大学であり、すごく歴史のある大学ですが、
最近新しい建物が大学内に次々と建てられているらしく、確かに至る所で工事をしていました。
アリッサさんによるとジョージタウン大学は学部生より院生の方が多く、
また、日本と違って学部の4年生と院の1年生を兼任できるらしく、アリッサさんもそうしているといい、
その制度には驚きました。ですがやはり学費はかなり高いらしく、
奨学金を使っている学生以外は中々のお金持ちが多いようでした。
キャンパスの中には生徒が運営するコンビニや銀行、お土産屋などもあり、
日本と違ってすごく自由度の高い大学だと感じました。
最初のプログラムとあってか、みんな凄く楽しそうに見学していて、
お昼ご飯を食べながらアリッサさんと話したり屋上から景色を見たりと、
その魅力を存分に感じました。「俺はジョージタウンに行く」と言っていた生徒もおり、
この研修のスタートにふさわしい、とても楽しい経験になりました。
↑お昼ご飯はカフェテリアを無料で使わせていただきました。
アリッサさんは大谷翔平の大ファンで、日本のこともSNSでリアルタイムで把握しているらしく、
友達と話しているかと思うくらい話が弾みました。
ジョージタウン大学はワシントンD.C.に位置します。僕自身あまり聞いたことが無かったのですが、
ついた瞬間校舎を見てこの大学の虜になり、この研修中ずっとこの大学で購入した上着と帽子を着ていました。
買った服をずっと着ていたので、道で通りすがった人や学校交流で生徒から
「ジョージタウン大学やん!」と声をかけられアメリカでの知名度が伺えました。
おまけにコンビニでジョージタウン大学の学生から声をかけられました。
大学訪問では校舎を回った後、昼食を食べました。
ジョージタウン生の1人がミールクーポンを持って無料で食べることができました。
ここでジョージタウンの生徒と話したりいろいろなことを聞き、
海外の大学生活がどのようなものかを知ることができました。
ジョージタウンには毎年寄付してくれるおじさんが居て、チューリップにしか寄付金を使ってはいけないため、
毎週のように埋め直しているそうです。
上がその画像です。ジョージタウンはカトリックの学校なのでもちろん六甲学院と同じように教会がありました。
ここで何か話していたような気がするのですが、その時は歯が痛すぎてあまり聞けませんでした。すいません。
そしてキャンパス内に大砲が置かれていました。
大砲がホワイトハウスの方向を向いているのはホワイトハウス建設時より前に置かれていたからだそうです。
このジョージタウン大学を訪れて海外の大学の魅力を体感出来ました。
そして自由な雰囲気であるものの、勉強に励む生徒たちをみてかっこよくまた羨ましくも見えました。
シンガポール研修でもニューヨーク研修でも同様に海外の大学に訪れることは僕たちに刺激を与えてくれるもので、
行ったみんなの思い出に残り憧れにもなった場所の一つになったと思います。
これから僕たちも大学受験を迎えますが、ここで学んだことを活かしてこれから励んで行きたいと思います。
①建物の印象
ニューヨーク研修2日目、ワシントンの観光をした。午前中にジョージタウン大学を訪問した後、
電車に乗ってこのスミソニアン(アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館)を訪れた。
スミソニアン博物館という名前はよく耳にするが、スミソニアン博物館には色んなジャンルがあり、
それぞれが別の建物で展示しているという驚きの事実を知っている人は少ないのではないだろうか。
ところで、僕たちは博物館に入場する前に道中でワシントン記念碑を発見した。その名の通り、
ジョージ・ワシントンを称えたスポットだ。1775年から1783年の独立戦争時に、
ワシントン率いるアメリカ軍がイギリス軍に勝利した史実は誰もが知る話である。
博物館について話を戻そう。記念碑のすぐ隣にあるそれは、造形芸術として非常に優れており、僕は心を強く打たれた。
建物は日本では見ることのないダイナミックで複雑さを感じさせる一方、平面的でシンプルなイメージも与える興味深いものだった。
きっとアメリカの人種差別の問題も、こういう性質を含んでいるのだろうと思った。
②展示物について
恥ずかしい話だが、僕はこの博物館の展示内容を学習していなかったし、人種差別の根強さや恐ろしさも理解していなかった。
黄色人種にとって、白人と黒人のいざこざは遠い話であると考えていた部分がきっとあったのだろう。
しかし、いざ蓋を開けてみると、それは大きな間違いであった。特にローザパークスの展示でそれを感じた。
バスの一席を譲らない、そんな些細な事が公民権運動に繋がったという趣旨の展示物では、人種を超えた共感を感じつつ、
差別に抗うことさえ稀な事であったのだという事実を認識し、差別問題の深さを考える一助となった。
本旅行では直接的な差別に直面する機会はなかったため、
まさに自分事としてこの問題を考えるまでには至っていないのだろうと思う一方で、
彼女を始めとした多くの運動家が起こした公民権運動は人に勇気を与えるものであり、
僕はこういうリーダーになりたいなと自分ごととして捉えられた。
③見学後の感想
博物館での大きな収穫は、「人はみんな人である」という当たり前の事実と、自身のリーダーシップ観の刷新にある。
さらに、僕は沢山の展示物だけでなく、その大きな建物全体から人種差別を理解した。
その問題は深く大きく、そして誰にとっても決して遠くないものなのだ。
アメリカ研修の初めに見学出来て良かったと今になって思うようになった。
振り返ってみると、その後の日程では、そのリーダーシップを大切にした行動が取れたと思うし、
人種を意識しないフレンドリーな会話が出来たと思ったからである。
この研修3日目にワシントンDCで訪れた米州開発銀行(IDB)とそこで働かれている
六甲学院OB奥村さんとの交流会について綴らせていただきます。
全員襟シャツを着て訪れた米州開発銀行で、まず僕と土井くんと南條くんでプレゼンをしました。
ジョージタウン大学でのプレゼンは学生の方と先生向けだったのでまだ少し気が楽だったのですが、
米州開発銀行でのプレゼンは見ただけで偉いと分かる方々がいらっしゃって、かなり緊張しました。
プレゼンをなんとか終わらせて、職員の方からIDBについてのプレゼンを英語で聞きました。
英語は話を聞くだけで体力を使うのでみんな疲弊していましたが、
IDBの活動に日本が大きく関わっていることや中南アメリカの発展に大きく寄与していることを聞いて、
みんなすごく興味が湧いているように思えました。
米州開発銀行に勤めている奥村先輩には、その日1日ずっと帯同していただきました。
プレゼン会場から移動してIDBの本部がある建物に移動しました。
中に入ると大きなホールが迎えてくれ、エレベーターで奥村先輩が所属している
「IDB Lab」のオフィスでお話を聞きました。
IDBLabでは中南アメリカで行っている水を使ったプロジェクトの話を聞き、
また誰でも開発事業をIDBに提案することで実行に移せる可能性がある、という話を聞きました。
自分たちがもし将来そういう仕事に就く日が来た時、IDBと協力していく可能性も大いにあると聞いて、
何となくですがそのような仕事に対する興味も湧きました。
午後に世界銀行も訪問し、その後奥村先輩がお住まいのマンションのパーティールームで交流会をしました。
奥村先輩以外の六甲OBの方々もいらっしゃったのですが、僕は同じ文系の奥村先輩の話を約1時間ほど聞き、
新しい発見や考える機会を沢山得られた気がします。
将来につながる「生き方」や「考え方」を教わることができ、自分の夢への道が少し明るくなったような気がしました。
奥村先輩との出会い、そしてお話がこの研修で1番心に残っています。
今世界で活躍する人と同じ学校で勉強している以上、その先輩方に負けないよう頑張っていこうと、
みんなが思えた素晴らしい機会だったと思います。
奥村先輩の愛犬ミミちゃんは僕らの間で少し人気になりました
IDBを訪問して特に印象に残ったのは、銀行とはいっても日本の銀行のようにお金を貸すだけではないということです。
初めは、開発銀行とはいっても主な仕事はお金を貸すだけでしょ、と思っていたのですが、説明を聞いて、
ただ単に出資するだけでなく、何か国の発展のためのアイデアを考えたり、
そういったアイデアを持っている人のサポートをしたり、
さらには社内に南米のアート作品を展示する場を設けて南米について知ってもらおうとするなど、
中南米の発展のためにたくさんのことに取り組んでいるのだと知って、驚きました。
もう一つ印象に残っているのは、奥村さんがプレゼンの中でおっしゃっていた、「イノベーション」という言葉です。
イノベーションとは、今の技術に新しい発想を加えて刷新し、より良くするという事です。
奥村さんは、このイノベーションが大事だとおっしゃっていました。
当たり前のような気もしますが、本当にイノベーションを実行するのはとても難しいことだと思います。
なぜなら、イノベーションには今までにない新しいアイデアが必要だからです。
だから、奥村さんがこの言葉を通して伝えたかったことは、
将来イノベーションを起こすためにも世界の色々な問題に目を向け、
解決のためのアイデアを今のうちから考えるようにしておきなさいということなのだと思いました。
交流会で奥村さんのお話を伺って印象に残ったことは、奥村さんの話の進め方が上手だったということです。
僕らが相談した話題に対して、すぐに答えを出すのではなく、僕らが思っていることをまず把握して、
それに対して周りの人も巻き込みながら考えて、最後に自分の考えを伝えるといった感じで、
全員が議論に参加して一番いい答えを出せるような話の進め方をしていて、とても印象に残りました。
僕もこれからグループで話し合うことがたくさんあると思いますが、
その時には、今回の奥村さんの話し方を思い出しながら、より良い結論を出せるような話し方を心がけたいです。
また、奥村さんが東大から海外へ出て世界を相手に働いている、
いわば成功者であるのに、少しも近寄りがたい雰囲気がなく、
偉そうなそぶりも見せずに、親身になって話を聞いてくださったのも、とても印象に残りました。
最後に、今回このように貴重な機会を用意してくださった奥村さんに感謝を伝えたいです。
本当にありがとうございました。
ワシントンの2 日目、我々は米州開発銀行と世界銀行を訪問した。ところで世界銀行とは何だろうか。
恥ずかしながら私はこの研修に参加するまで世界銀行という組織を知らなかった。
しかしOB の方々やそこで働いておられる方にプレゼンをしていただき、理解が大きく深まった。
世界銀行とは主に低所得国の政府に対して融資を行う機関である。
日本もかつて東海道新幹線や東名高速道路の建設の際には融資を受けた。
しかし高度経済成長期をむかえ低所得国ではなくなった現在、日本は融資をする側に回っている。
私はこのシステムは素晴らしいものだと思う。
かつて施しを受けた側が今日には施しを与える側にまわり貧しい国を支援するというのは、
まさに人類全体の発展を促すものではないだろうか。
皆さんのプレゼンでは、河川の災害対策やジェンダー問題などは解決しなければならない問題だが、
社会構造や財政的な面から外部からの働きかけが無いとなかなか解決しないとおっしゃっていた。
普段日本に住んでおり、しかも男として生きているとこれらの問題を意識する場面はそう多くないが、
だからこそ積極的に理解を深める必要があるのだと強く感じた。
高松さん、田辺さん、奥村さんとのOB 交流会では、
奥村さんのチョイスでエルサルバドル料理を食べながらとなった。
私は辛いものが苦手なためあまり口に合わず水ばかり飲んでいたが、
そういった経験もこの研修に参加しなければ得ることができず貴重だったと思う。
高松さんは前述の世界銀行で河川工学の専門家として働いており、途上国に赴いて河川の氾濫を防いだり、
災害を予測したりするなどして被害を最小限に減らすべく尽力されている。
田辺さんは自らの仕事内容について我々にもわかりやすく、楽しそうに話されていたが、
人材や技術が不足する途上国で仕事をすることは難しいがやりがいがあるとおっしゃっていて、
世界を舞台に活躍されている姿に憧れを抱いた。
田辺さんはワシントン近郊の大学で脳科学の研究をしておられる。
田辺さんの話は専門的な内容も多く文系の私には難しいものも多かったが、
私の進路について悩んでいるという相談や、留学したほうが良いかという相談にも親身にのっていただき、
非常に有難かった。日本を出て活躍されている研究者として尊敬するとともに、
六甲の先輩としても尊敬できる点が多く、田辺先輩のようになりたいと感じた。
最後に
六甲の先輩は様々な業界で活躍されているが、
中でも世界を舞台に活躍されている先輩方のお話を聞いたことで、
憧れを抱くとともに自らも世界を舞台に働きたいと強く思った。
ワシントン2日目。僕たちは米州開発銀行(IDB)と世界銀行(WB)にお邪魔した。
IDBよりもさらに大きいこの施設は、遠くからでもすぐ解るぐらいの威圧感があった。
ロビーに入るとセキュリティーの検問が実施され、WBの訪問を開始した。
昼食を食堂で頂いた後、会議室で5人の方からプレゼンをして頂いた。
13時開始で17時終わりというかなりの長丁場だったが、本当に勉強に
なる話ばかりをして下さった。
どのプレゼンターの方もジェンダー問題や外交の進め方や生物学、
コンサルティングや物理学など突出した専門性の高い分野を持っており、
WBにそれらを還元していた。純粋にカッコいい仕事をされていると思い感動した。
僕らは、積極的に質問をしたり、メモを取りつつ、このWBとはなんのためにあるのだろうか?と考えていた。
1つの答えは六甲精神とのリンクにある。
途上国のために捻出したお金を、混乱のない世の中の創造のために、長期的かつ計画的に使う姿勢は、
まさにインド募金をする僕らの心のメカニズムに似ていると思う。
インドの子供たちの健やかな成長と、次世代の充実した教育の提供について、
募金する僕たちは少なからず考える必要があるだろう。
米州開発銀行、世界銀行を訪れた後に、そこで3人の現役で活躍されている方々と交流させて頂いた。
米州開発銀行で活躍されている六甲OB(55期)の奥村氏との交流は他のグループの記述にあるため、
今回は世界銀行のお二人との交流について記述する。
高松氏は貧困地域、特に南アジアで水害を抑えるために尽力されている。
WBでプレゼンされた時には、楽しそうにお仕事について話される一方で、
その表情の裏に貧困地域を災害から守るという強い使命感を感じた。
その後の交流会では、防災業務の大変さや高度な物理学を用いた浸水域特定の話など、
お仕事の大変さや充実度が伝わる話をして下さった。(学生時代の恋バナにも話に花を咲かせた。)
田辺氏はWBにお勤めではなく、ジョージタウン大学で脳科学の研究をされている。
ただひたすらに研究に勤しんでらっしゃるようで、その好奇心の深さと人を惹きつけるような優しい喋り方に、
本当にすごい方が居らっしゃるものだなと感嘆した事を覚えている。
交流会では、脳の理解可能性と過去現在未来について言及されていた。
理解することは非常に困難であったが、田辺氏のような難しい話ができるようになりたいと強く思った。
最後に
ワシントン2日目のこの一連のプロジェクトは研修の中で一番記憶に残る大切な経験です。
人生の視野が広がるような貴重な体験をありがとうございました。
◯高松さんと田辺さん OB交流会
僕はこのニューヨーク研修で世界銀行に行くことを知った時、
正直全く興味がなかったので少し気分が上がりませんでした。
研修に行く前に、父から同級生が世界銀行で働いていることを聞いていましたが、それが高松さんでした。
高松さんがかなり父繋がりで面白い話をしてくださったおかげで世界銀行の魅力を深掘りすることができました。
それによって高松さんが世界銀行に至るまでの苦労や喜びに一喜一憂でき、
世界銀行への考えが180度変わった気がします。
そして帰ってきた今だから比較できる、ワシントンのOB交流会とニューヨークのOB交流会の異なる点が、
ニューヨークではその人の詳しい仕事を聞き出すことはできませんでしたが、
ワシントンでは一人一人のOBの先輩方が何をしているのかを
深く掘り下げることができとてもためになった話が多かった印象があります。
上記の通り、特に高松さんとは六甲での学生生活についてかなりお話することができました。
例えば、僕の将来の夢の話になった時、高松さんは今の学生生活を思い切り楽しめとおっしゃっていました。
実際今僕は文化祭でも体育祭でも重役を担っています。
将来、高松さんのようにワシントンでビッグになるほどのポテンシャルが僕にあるとは思いませんが、
高松さん自身も今を楽しんでいるとおっしゃっていたので
将来かっこいいと思われるような人になるために日頃から今を楽しむことを忘れずにいようと思いました。
◯世界銀行
OB交流会の所で世界銀行について書きすぎてしまいましたが、
研修に行く前と言った後の世界銀行に対する考えは全く違いました。
そもそも世界銀行は何をして何のために存在するのかすら知らなかったので、
それを知ることのできた良い機会でした。
例えば「世界銀行はお金をあまり持っていない」と聞いた時ますます存在している理由が気になりました。
簡単に言ってしまえば「貧困をなくす」ということが一つのスローガンでした。
これはSDGsで言うと1番です。これだけ聞くだけでどれほど重要な機関かどうかがわかります。
そしてもう一つの大きなスローガンは「人々の所得を切り上げること」だそうです。
このような重要なことをアメリカのワシントンで担っている日本人がいるだけで、
同じ日本人としてもとても自慢できることだと感じました。
高松さんや田辺さんは川の話や脳に関する話など少し僕らには難しい内容でしたが、
日本に帰ってもう一度調べてみました。その結果やはり複雑なことを行なっておられるとわかり、
改めて尊敬できる先輩だと感じることができました。
もし今度ワシントンに行く機会があったらぜひOBの方と今一度顔を合わせたいなと思っています。
〜入場前〜
まず入る前に印象を説明させていただきたいのですが、とにかくデカかったです。
中に入って感動したものも多かったですが、何よりもでかいという印象を一番覚えています。
さらにその日は雨が降っていたのですが、入場ゲートに並んでいる際、
傘を売っていたおじさんのインパクトが大きかったです。
「Umbrella!Umbrella!」と叫んでいて、傘の博物館と勘違いしそうになるところでした。
〜入場〜
入った時の第一印象は「かっこいい」でした。男の子なら、誰しも乗り物に興味を持っていた時期があると思います。
僕もその1人でアポロ11号をみたとき、過去にアニメや漫画でしか見たことのないようなものが目の前にあると感じて、
とても興奮していました。他にも飛行機や歴代のスポーツカーなども展示されていました。
歴代のスポーツカーに関しては、スポーツカーの音も聴くことができ、まさに五感で楽しむ感じでとても興奮しました。
そしてもう一つ僕の男の子としての本能がくすぐられたのが宇宙です。
先ほども書いたようにアポロ11号の展示をはじめとする、多くの宇宙に関する展示物があり、
僕が研修で最も楽しみにしていたものの一つだったので友達も引くほど僕のテンションは上がっていたようです。
その日の記憶はテンションが高かったことしか残っていないと言っても過言ではないほど興奮していました。
宇宙の展示で一つ難点だった部分が惑星の名前もアポロ11号の展示の解説も全て英語で書かれていたことです。
英語の長文を見ると現実へ引き戻され、上がったテンションも下がってしまいました。
〜アメリカマクド〜
そして航空宇宙の楽しい気持ちをそのままに、研修では初めてアメリカのマクドに行きました。
物価が上がっていたという印象も、ドリンク飲み放題の快感によって吹き飛びました。
僕はビッグマックセットを頼みましたが、思ったほどビッグではなかったのが残念でした。
そんな初アメリカマクドの日本人を前に本場のアメリカ人がドリンクを颯爽と注ぐ姿は忘れたくても忘れられません。
その人は、僕もアメリカに住むとなったらああなりたいと感じるほどジャンクフードが似合った体型をしていました。
〜最後に〜
航空宇宙博物館では感じたことのないような、表現することのできないような体験をすることができました。
僕が個人的にもっとも楽しかったプログラムの一つが航空宇宙博物館です。
きっと共感してくれる人が研修旅行生にもいると思います。
特に何を学んだかというとテンションが上がった時の自制心の保ち方でした。
それぐらい楽しかったので、きっと(絶対)将来また行くと思います。
その時までにはもう少し英語の読解力をつけたいと思います。
スミソニアン博物館は全部で19あり、今回はそのうちアフリカ系アメリカ人博物館と航空宇宙博物館を訪れました。
ここでは航空宇宙博物館について話をしたいと思います。
航空宇宙博物館はその名の通り飛行機や宇宙船などの展示もあるのですが、
それ以外にもスポーツカーやバイクなども展示されており、とても好奇心をくすぐられました。
半分ほどリニューアル中で見ることができず、
僕が見たかった第二次世界大戦中の飛行機などが見られなかったのが残念でしたが、それでも素晴らしかったです。
特に面白かった展示物を以下にいくつか紹介します。
歴代の宇宙服のモデルが展示されていました。
宇宙服が改良を重ねられていく過程を見ることができる展示だったのが面白かったです。
ライト兄弟の飛行機の展示もあったのですが、成功した飛行機のモデルだけでなく、失敗作も展示されていて、
どのように改善されたかがよくわかりました。
日本と違うのは、展示する時においても失敗をあまり気にしないということです。
日本の博物館は綺麗ですが、うまくいった完成品しか展示してないように見えます。
ですが失敗をわざわざ展示することにも意味があると思います。
失敗したけどこの視点で見て改善すればうまくいく、
失敗は成功のもととよく言われますがそのことを伝えたいのではないでしょうか。
ニューヨーク研修に行く前からとても楽しみにしていて、実際行ってみてもとても面白い物でした。
ぜひアメリカに行ったら訪れてみてください。
僕たちが5日目に訪れたメトロポリタン美術館についてご紹介させていただきます。
メトロポリタン美術館では古東西問わずあらゆる作品を収集しており、
⼀度保管庫に入った作品は⼆度と見ることができないと言われるほど多数の美術品が収められています。
この美術館にはゴッホの自画像やフェルメールが描いた35作品のうちの5作品などの
有名画家による絵画が多数展示されています。
また美術的に価値のある建築物や遺跡などが移築・展示されており、例としてはデンドゥール神殿(写真右下)や
フランクロイドライトの建築物(写真左下)などです。
ちなみに彼の建築物はヨドコウ迎賓館や帝国ホテルなど日本にも存在しています。
建築物の他にも石膏像、エジプトミイラの木棺、副葬品など多種多様な美術品が展示されていました。
それに加えて展示物が非常に多いため、一日で全てを回り切るのは不可能と言っても過言ではないかもしれません。
今回見ることができなかった美術品も数多くあり、機会があれば是非また訪れたいと思います。
この報告記ではNYでお邪魔した3つの姉妹校の1つであるフォーダム高校での体験について書かせていただきます。
フォーダム高校はとても上品な学校でした。
他の2校はチャラチャラした雰囲気の生徒(悪い意味ではない)が多い中、
フォーダム高校の生徒は社交性と上品さを兼ね備えている生徒が多い印象を受けました。
僕のペアの生徒はとても優しい方でした。
僕が初め緊張していた時に積極的に話しかけてくれたり、学校の中を丁寧に案内してくれて、
安心して交流をすることができました。
フォーダム高校ではスペイン語の授業を受けました。
フランス語などの授業を受講している生徒も散見され、第二言語の選択は様々だということを知りました。
また廊下や教室で出会う生徒にも話しかけてもらうことが多かったです。
日本人がいることが珍しいのも理由の一つだったと思いますが、
自ら近づいてきてくれることが多く、僕も接しやすかったです。
生徒のみなさんの手の大きさや厚みが日本人には中々みられないサイズばかりで驚きました。
僕は6月に学年全体の研修旅行でシンガポールに行きます。
その際にも学校交流があるので、今回の経験を活かしてフォーダム高校の生徒のように明るく社交的に交流したいです。
学校交流が初めての同級生が殆どだと思うので、僕がみんなの手本として行動することで
今回のフォーダム高校での交流がより一層意味のあるものになると思っています。
▼フォーダム高校でペアを組んだDesta
6月にはフォーダム高校の生徒が六甲にきてくれます!
僕たちは今回のニューヨーク研修において、フォーダム高校、クリストレイ高校、
セントピーター高校の3つの姉妹校と交流をしました。
今回はフォーダム高校について書きたいと思います。
まず、フォーダム高校はニューヨークのブロンクスにある姉妹校で、六甲と同じく男子校です。
交流の前に、ペアの高校生とメールをやり取りしていて、当日もすぐ仲良くなれました。
彼とは学校の中を案内してもらったり、一緒に授業を受けたりしました。
僕は世界史を受けたのですが、生徒がほぼみんなパソコンなどで授業を受けていることに驚きました。
やはりアメリカなだけあって、技術も教育もどんどん進化していってるように感じました。
また、今回交流した高校生全員について言えることですが、とてもノリが良かったです。
僕がくま先輩を出して写真を撮っていたら、とても可愛いと言ってくま先輩を持ち上げて喜んでいました。
フォーダム高校での交流の後はPOTSというボランティアセンターのようなところに行きました。
この施設では、貧しい人のために食べ物を提供したり、シャワーを提供したり、
また仕事を探す手伝いまでしているそうです。
こんなに手厚く保護してくれる施設は日本にもそれほどないと思います。
確かにニューヨークにはホームレスも多くいるの、で彼らを助けるためには必要なのかもしれないと思いました。
パンフレットによると昨年は3万7000人もの人々にサービスを提供したそうです。
日本も福祉はかなり手をかけていると思いますが、
アメリカはモノだけではなくサービスの規模も大きいと感じました。
今まで福祉についてあまり興味はなかったのですが、もう一度考え直してみようと思うきっかけになりました。
NYのとある中華料理店にて、NYで活躍されているOBの方々と一緒に食事をする機会をいただいた。
私たちは5テーブルに分かれ、それぞれのテーブルに1人ずつOBの先輩に30分ずつ座っていただき、
計5人の先輩と話をした。
このOB交流会の趣旨はあくまでも交流であり、学歴やお仕事などを明かさずに、
話したいことを話そうという交流会だった。
私のテーブルでは4人の先輩とガイドの栗本さんとの交流があった。
全員に共通していたことは、アメリカでの生活を楽しんでいらっしゃることで、
話を聞いて心の底からアメリカで働きたいと思った。
NYに駐在中で他の国に駐在している知り合いがいる先輩によると、住みやすさはロンドンが一番らしい。
将来の道として英語圏だけではなく、様々な外国語を学んでヨーロッパも考えるようになった。
外務省にお勤めの先輩に「日本の円安はどうしたら戻るのか」など質問をした際、
先輩は政府の1人として日本の高校生の考えを私たちに逆に聞き、
私たちは必死に色々な事を考える事ができた。
例えば、「少子高齢化は良いことか悪いことか」などの、質問自体はシンプルだが答えるのは難しい問題だ。
また、ガイドの栗本さんとのお話はとても楽しかった。
ガイドとしての姿しか知らない栗本さんのこれまでの人生の話は意外な事実ばかりだった。
とある野球選手とご飯にいった事があるというエピソードは面白かった。
栗本さんには英語のコミュニケーションについても教えていただいたが、
要はとりあえず英語を喋りまくるということだ。
これからの言語習得に活かして行きたい。
NYなどアメリカに関することなどを主に話しが、会話した内容自体の素晴らしさ以上に、
六甲の先輩と後輩の繋がりに感動した。
一般のアメリカ研修というものは、名所を周るといったものだろう。
しかし六甲の研修では、現地にいる先輩との交流がある。
初対面にも関わらず、私たち後輩のために様々な助言を授けていただくような先輩後輩関係のある六甲に感動した。
このような機会を頂けて本当に感謝しかない。
NYでのOB 交流会は6 日目の夜、中華レストランにて行われた。
現地で活躍する39期~67期のOBの方々5人と生徒18人が交流するというもので、
生徒18人は5 テーブルに分かれて30分ごとにOB の5人が入れ替わって交流するというものだった。
ここで普通の交流とは少し違って面白かったところは、
OB の方々が初めに自身のバックグラウンドを明かさずに交流することだった。
これによって生徒がOBの方々に積極的に交流を試みる基盤ができたのではないかと僕自身は思った。
そして生徒18人の分け方はくじ引きのように同じ色のチップを引いたもの同士でグループを作るというものだった。
僕のグループは水原と中井の3人で全員同学年だった。
そして交流は4人のOBの方々とツアーガイドの栗本さんに話を伺うことができた。
交流の際に議題として上がったのは、僕が指導員、水原が弓道部部長、
中井が文化祭委員長・サッカー部キャプテンということもあって
「後輩・仲間を率いる・育てる際に意識すること」だった。
伺って印象に残ったのは全員別々のバックグラウンドを交えて話しているのに全員同じ方向性の話をしていたことだ。
全員の話を伺って前述の問題に対する答えを導くならば、
僕は「後輩・仲間を否定せず、見守りながら方向性を定めてあげることが大切だ」と考えた。
また、4人のOBの方々の中でアメリカで働こうと思って企業に就職した人は誰一人としていなかった。
全員日本の企業に就職し、偶然にもアメリカで働く機会を得てアメリカに来た人ばかりだった。
それをもとに僕が思ったのは、人生何があるのかわからないなということだ。
何かのきっかけで人生は想定外の方向に向かっていくこともあるのだなと思った。
こうして4人のOB の方々と栗本さんの話を踏まえて僕はまたいろいろな気づきを得ることができた。
改めてこの研修に参加して良かったと思った。
創立87周年と歴史のある自分の通っている学校のOBの方々と交流する機会なんて
このNY研修くらいでしか経験することができず、
今後の人生を左右するような貴重な材料を得ることができたと思う。
ニューヨークでのOB交流会では、あえて先輩たちの経歴や仕事の内容を明かさずに話すというものでした。
経歴を聞いてない状態だと話しやすくなるということでしたが、後日経歴を知った時は本当に驚きました。
ランダムに5チームに別れて先輩が回ってこられるという形で僕らの班のメンバーは大嶋君、水原君、そして僕でした。
大嶋君は中一指導員、水原君は弓道部部長、そして僕は文化祭委員長だったので、
「目指すべきリーダー」というテーマで話し合いました。
僕らもそれぞれ色々な状況で色々な考え方があり、とても深い話ができました。
そこで先輩に教えて頂いたリーダーの条件を紹介したいと思います。
1つ目:自分の中で意志を持ち、行き先を決め導いていく
2つ目:複数の意見が出てきて喧嘩になった時に止めることができる
3つ目:自分だけではなく部下を成長させることができる
というものでした。
僕は今まで、どれだけ色んな人から意見を聞き、
可能な限り理想へと近づくことがリーダーの仕事だと考えていました。
しかし先輩方の話では、まずは自分が物事に対して真剣に考え、
揺るがない意思を持ち、自分が行き先を決め、そこに導く人がリーダーであるというものでした。
僕が思っていたのとは全く逆で、とても驚きました。
また3つ目の部下を成長させるというのはとても難しいことで、
部活動での部長という立場、会社での課長や部長、社長での立場など立場は異なる中でも共通の課題があり、
全て自分がやるのではなく、誰かに仕事を振ってあげる、
また仕事を振るだけではなく失敗しないようにフォローをしてあげる、
失敗してもカバーすることができるようになることです。
これはとても難しいことだと思い、自分がリーダーとしてはまだまだ未熟であると思い知らされました。
最後にこのように素晴らしいOBの先輩方がいらっしゃって六甲学院の凄さにとても驚いたとともに、
自分も先輩方たちのような人間になっていきたい、いや絶対になるんだという思いが湧いてきました。
この交流会を通して学ばせていただいたリーダーの条件を完璧にこなすことはできないかも知れませんが、
自分なりに一生懸命にリーダーとしての役割を果たしていきたいと思います。
前日のフォーダム高校訪問と同じく、朝早くからホテルを出発し地下鉄を利用して高校に向かいました。
フォーダム高校の敷地が大学並みに広かったということもあり、クリストレイ高校の校舎が、
閑静な通りにポツンとある普通の建物のようだったことに驚きました。
まるで、少し歴史のある小さなオフィスのようでした。
しかし、その静かな外見に比べて、建物の中にはたくさんの学生達がおり、
賑やかな学校の雰囲気がしっかりとありました。
校内に入るとまず交流スペースに案内され、そこで4、5 人の生徒と顔合わせをしました。
驚いたことに生徒たちは皆学校とは別に何か仕事をしているようで、
このクリストレイ高校はどうやら、働きながら通うような生徒さんの来る学校なのだそうです。
来てくれた生徒と軽く自己紹介などをした後、グループに分かれ、
それぞれのグループについた生徒が受ける授業を一緒に受けました。
生徒によって受ける授業は異なりますが、僕の場合は英語の授業とスペイン語の授業でした。
英語の授業ではシェイクスピアのハムレットを取り扱い、
スペイン語の授業ではスペイン語でディスカッションをしていました。
教室は思ったより賑やかで、生徒や先生も陽気な方が多かったので、授業の最初にたくさん話しかけてもらい、
ニューヨークで予想外だったことは何か聞かれたり、日本の宗教について聞かれたりしました。
僕はニューヨークの街は意外と変な臭いがすると答えたのですが、
説明不足によりまるで人が臭いと言ったかのようになってしまい、あわてて弁明したことはいい思い出です。
またスペイン語の授業で僕の友人は、家ではいつもスペイン語で生活しているような生徒さんたちに対し、
「スペイン語は人気な”外国語”なのですか?」と質問して戸惑われていたりもしました。
なんにせよ日本とは違った良さのある楽しい時間でした。
その後はまた同じ交流スペースに戻ってきて、
今度は授業にいた生徒さんたち10人くらいもやってきて一緒に昼食のピザを食べ、
プレゼント交換などをして過ごしました。
僕が渡したものではありませんが、けん玉がとても人気で、一つのけん玉を交代でチャレンジし、
成功した時は大盛り上がりでした。
国連ではガイドの方と一緒にいくつかの議場を見学したあと、世界平和と戦争に関する展示場へ向かいました。
一高校生そして日本人として心に残ったのは、やはり原爆の爆心地から回収された残骸でした。
中でも溶けてぐにゃぐにゃになったガラスは、爆風が来ない場所でも非常に高い温度にさらされた証左であり、
原爆の悲惨さを物語っていると感じました。
加えて、世界の様々な地域で紛争が起こっている現在の情勢と重ねて、
自分たちがどのように貢献していけばよいのか各個人で深く考えさせられた意義深い経験でした。
UNDPにおいては日本人の職員の方から活動の概要および日本の貢献に関するプレゼンをしていただきました。
自分の国が世界の様々な地域で感謝されるような協力をしていると気づき誇らしい思いになりました。
ここではセントピーターでの出来事を写真と共に紹介していきます。
セントピーターでの授業体験を終えて突然ペアの子にLet’s go.と言われ連れて行かれた先は講堂でした。
そこには全生徒が集まり、各々が真剣な面持ちで座っていました。
今から一体何が始まるのかとわくわくしていると前に司祭っぽい人と校長っぽい人が現れ、
ひとしきり喋った後、突然陽気な音楽と共にミサが始まりました。
残念ながらミサではとても写真を撮れるような雰囲気ではなかったため、写真はないのですが、
ミサでは10個ぐらいの歌に乗せて、祈りの言葉をみんなで言い、僕も途中からはかろうじて歌うことができました。
歌が終わった後、ペアに連れられてパンを取りに行きました。一様イメージとして下に載せていますが、
モナカの生地のようなもので、本当はキリスト教の人しかもらってはいけないのですが、
僕含め六甲のみんなは普通にもらってしまいました。
プロテスタントやユダヤ教など、カトリックでない人は手をクロスにして受け取りを拒否していました。
それも、多宗教国家アメリカならではの光景だなと思いました。
ここではNYで訪れたセントピーター高校との交流を振り返ります。
僕は現地の生徒と受けた授業や休み時間を紹介したいと思います。
授業は1時間目に物理を、2時間目に理系数学、3時間目に美術を受けました。
写真は僕のバディのギャビン君です。
とても優しくて格闘技とアメフトが好きらしいです。
お土産に扇子をあげたら喜んでくれました。
・1時間目物理
この授業で嬉しかったことはアメリカの子もダルいと思う授業があることです。
物理の授業中に僕のバディとバディの友達が僕に、
「この授業はびっくりするほど退屈だし、あの先生は全く優しくない、
この授業をするより、マインクラフトがしたい」と言ってきました。
僕も物理は苦手で好きじゃないので、共感できてとても嬉しかったです。
ちなみにホントに途中からゲームしてました。
・2時間目理系数学
この授業は文系の僕にとって苦痛でした。
この授業中に知ったことはアメリカも日本と同じノリをするということです。
先生が難しい問題をわざと成績が良くない生徒に答えさせたりと、どこか似たものを感じました。
・3時間目美術
僕のバディは美術の成績が学年1位だったようで、自分が好きな靴を描いた絵を見せてもらいましたが、
とても上手でアメリカらしい派手さもありました。
ここで僕は自由の女神の絵を描いて、バディに記念にサインしてもらいました。
この絵は家に飾っています。
美術の授業は完全放任主義で先生はみんなの絵を褒めるだけで、
みんな彫刻や油絵や工作と各々で好きなことをしていました。
これがまさに生徒の個性を伸ばす教育なのかなと思いました。
授業で会った生徒はみんなとても優しかったです。
僕の拙い英語を頑張って理解し、簡単な英語で授業を説明してくれました。
見下されることなく、仲良くなれました。彼らとのコミュニケーションは新鮮で興奮しました。
他にも色々と親切にしてくれて、この高校には感謝しかないです。
ここでは午後にセントピーターのペアの子と行った市内散策について報告します。
まず最初に少し歩き、ニュージャージー州からのニューヨークの景色を見ました。
ニューヨークの街並みを初めて遠くから見ましたが相変わらず驚くものでした。
学校交流3日目ということもあり、移動中もみんなペアの子と喋りながら移動しており、
英語力が伸びていることを実感しました。
笑いも1日目と比べて増え、とても楽しい散歩でした。
その後地下鉄に乗ってワンワールドトレードセンターを訪れました。
最初モニターでニューヨークの昔から現在までの発展して行く様子が映像で流れ、
映像が終わったらモニターが降りて景色が見れるという面白いアイデアの詰まった物でした。
あいにくの雨で少しぼやけてあまり綺麗と言えるものではありませんでしたが、
新旧が混ざり合い発展してきた様子が見られ面白かったです。
そして横にあるグラウンドゼロを訪れました。
ちょうど雨が降っていてここだけ雰囲気が重かったのを覚えています。
そこから歩いて最後ウォール街の真ん中でお別れしました。
最後はみんなが積極的に話をしに行っていました。仲良くなった分別れは寂しかったです。
またいつか会えることを信じて別れました。
今回、NY研修に行かせていただいた土井大空です。
ここで、自分がNYで感じた事や、学んだ事を書きたいと思います。
今回は2つのイベントをピックアップし、最後にまとめたいと思います。
・現地高校生との交流
僕が初めに選んだイベントは現地高校生との交流です。
NYで3つの高校に1日1校行き、交流をしました。
現地の高校生はみんなとても優しく、すぐに打ち解け、友達になれました。
写真は食堂で僕のバディがピザを奢ってくれた時の写真です。
どの高校でも、好きなスポーツや趣味や特技について話しました。
現地のみんなは僕の拙い英語を理解し、分かりやすい英語で伝えようとしてくれました。
正直なところ、差別までは行かなくとも、少しくらいは馬鹿にされるかなと思っていたんですが、
現地のみんなは本当に優しく、会った人みんなと仲良くなりました。
またアメリカと日本の学校のありようの違いだったり、色々なことにも気づきました。
ちなみに、バディと一緒に現地の高校で授業を受けるんですが、
みんなが体育や美術を受けている中、文系の僕は理系数学とギリシャ語を受けさせられました。
・NYとワシントンD.C.の街並み
2つ目に選んだこのトピックが一番多くを学び、感じとりました(写真は多いので文章の終わりにあります)。
異国であるアメリカの首都ワシントンD.C.と、世界で最も発展していると言ってもいいニューヨーク。
その街並みはとても感動的でした。
まず初めに訪れたワシントンでは、これぞアメリカというものを目の当たりにしました。
自分より2回りもでかい人が大勢いて、びっくりするほど広い道路や立ち並ぶ高層ビル。
フードコートや大学、博物館、どれをとっても規模が段違い。
南米や西欧などたくさんの異文化があり、ホワイトハウスや国会議事堂が構えられていて、
富豪が多いので街に落ち着きがある。
しかし少し外れれば、道にホームレスがいたり、押し売りがいたり、路上ラッパーがいたり、とまさにアメリカでした。
一方でNYはワシントンとは異なる雰囲気でした。
タイムズスクエアに立ち並ぶビル群や、デカすぎる動画広告モニター。夜中までうるさいし、
タバコや麻薬らしきものの匂いで臭く、眠らない街でした。
しかし、それでもやはりキレイで、カッコよくて興奮しました。
加えて自由の女神や国連などがあり、やはり世界の中心だなと思いました。
NYに関しては形容する言葉が見当たらないほど美しく、胸を打たれました。
あの日見たタイムズスクエアの景色は忘れられないです。
最後に自分なりに今回の研修を振り返りたいと思います。
今回僕は、憧れのアメリカに行き、日本と海外の違いだけでなく、
ワシントンとニューヨークの違いを学び、異国の同世代との言語を超えた繋がりを感じました。
それによって自分の可能性を知った反面、自分は井の中の蛙であったことを痛感しました。
僕は今日こうして両親が美味しいご飯を毎日作ってくれて、質の高い教育を受け、
なんの障害もなく日々を過ごせています。
しかしひとたび海を越えれば、今日一日を過ごすのが精一杯で、ご飯は食べられず、
肉体労働を強いられ、教育を十分に受けられず、生まれた所や肌の色だけで差別を受けている、
そんな人が年齢を問わずたくさんいます。
今日こうして不自由なく過ごせていることのありがたみに気づけました。
それにアメリカでは偏食がちで、不健康な生活が続いて体を壊しました。
いかにいつも両親が自分の健康を考えてくれているか、そのありがたみにも気づきました。
お母さん、お父さん、いつもありがとう。
ニューヨークの博物館でライト兄弟の1人乗りの小さな飛行機を見た後に乗った、
日本行きの帰りの大きな飛行機。
そこからアメリカの大都市や北部の大自然、太平洋、日本の街並みを見て、
いかに人類は偉大で壮大であり、世界は広いのかと想像させられました。
この研修を生かし、自分もライト兄弟のように世界を先頭で切り開くため風に向かって立ち、
自由の女神のように全ての人に明かりを照らす、そんな偉大なリーダーでありたいと思います。
今回のNY 研修ではワシントンDC とニューヨークの二つの都市を訪問しました。
とても貴重な体験ができましたが、今回はそれぞれの都市で最も印象に残ったことをひとつずつ紹介します。
1. ワシントンD.C.
ワシントンD.C.で最も印象に残っているのは、世界銀行と米州開発の先輩方を訪問したことです。
どちらの組織でも、OB 以外の職員の方々も僕たちに時間を割いてプレゼンをしてくれました。
世界銀行は貧困の撲滅と途上国の所得の引き上げ、
米州開発銀行は中南米やカリブ諸国の発展を目的としていますが、
多種多様な支援を行っているので、職員のミッションも多岐にわたっており、
同じ組織内でも本当に様々な仕事が有ることを学ぶことができました。
最も心に残ったのはこの二つの組織を訪問する機会を頂いた事でしたが、
他にもアフリカンアメリカンミュージアムやスミソニアン博物館など、貴重な体験をさせて頂きました。
2. ニューヨーク
ニューヨークでは、自由の女神、メトロポリタン美術館など
ニューヨークを代表するスポットを訪れましたが、最も心に残ったのは現地の高校を訪問したことです。
訪れた3校の内、1校の生徒とは訪問前から連絡を取り合い、
会う前からパートナーの趣味や興味について知ることができました。
3校ともそれぞれ特徴が有り、日本には無い科目が有り、また自分が受けたい授業を自由に選択し、
組み合わせて受けることができるなど、日本とは異なるシステムに驚きました。
また、英語でコミュニケーションをとったり、現地の高校の授業を受けたりといった、
非常に貴重な機会を得ました。
今までは、英語を試験や受験のために勉強している意識でしたが、
現地の英語の授業の内容が或る程度理解出来たり、
自分の英語がアメリカ人の高校生に通じたりといった体験から、
単なる「科目」から「コミュニケーションの道具」として英語を捉えられるようになり、
興味やモチベーションを更に高めることができました。
今回頂いた経験を活かし、世界に羽ばたける人材になりたいと強く思いました。
訪れたところは他のメンバーが書いてくれているので、ここではこのニューヨーク研修を経て、
得られたことや自分自身の心情の変化であったり思い出について話したいと思います。
やはり一番の思い出は人々の交流でしょう。
どんな素晴らしい景色を見て、美味しいものを食べたとしても、
今となって一番思い返すのは現地の人々との交流です。
実際に現地の人と話したことや、道で話しかけられたことは細部まで鮮明に思い出すことができます。
半年前に訪れたシンガポール研修ではアジア系が大半を占めており、
怖いと言った感情は微塵もなかったのですが、アメリカでは僕よりみんな体格が一回り大きく、
銃社会ということもあり、着いた日はとにかく怖かったということを思い出します。
しかし僕の不安は杞憂に過ぎず、現地の皆さんは僕に親切に振る舞ってくれ、
どんな拙い英語を僕が話していたとしても、
どんなくだらないことを言ったとしても楽しそうに反応してくれました。
2つ目にこのニューヨーク研修を経て、将来のビジョンが明確になった気がします。
シンガポール研修で海外でお仕事をしている方々の話を聞いて以来、海外で仕事をしてみたい、
留学に行きたいといった願望はありましたが、具体的なイメージはわきませんでした。
しかしこの研修を通して、海外の大学院に行ってからそのまま現地でお仕事している人から話を聞いたり、
商社で働きニューヨークに駐在しているOBの方々と実際にテーブルを囲んで話をして、
実際に大学でどんな事をして、今現在どんなお仕事をしているのかを直接聞き、
将来の具体的なイメージがわきましたし、新旧の建物が混在し、常に止まることなく発展し、
世界の最先端を切り開くニューヨークという街に憧れを抱きました。
しかし一方でその波に取り残された人たちも実際に存在し、ホームレスとして生活していました。
社会は現在進行形で著しく発展していますが、発展すればするほど取り残される人も増え、
またそのツケは無視できずいつか回ってくると同時に感じました。
この研修はそういう意味でも、
多感で将来に迷う高校生に道を照らしてくれる自由の女神のようなものであると思います。
この研修を通してさまざまな影響を受け憧れを抱き、
たくさんの人と交流を交わすと同時に社会の現状を知りました。
しかし自由の女神は照らすことしかしてくれません。
将来の道を歩んでいくのは自分自身です。世界では様々な問題が起こっていますが、
僕らはまだ高校生でこのような大きな問題を解決することは出来ません。
僕らが今できる最善の事は現状に感謝し、
等身大で出来る限りのことをして将来の道に向かって躓きながらも
歩き続けることではないかと僕は思います。
その歩む道を照らしてくれたのがこの研修であったと思います。
最後に思い出の写真を貼って締めくくりたいと思います。
NYで感じたことは想像とはかけ離れた現実だ。アメリカは高層ビルが立ち並び、
お洒落な街並みで先進国の象徴であると思っていた私にとって、
道端や地下鉄にいるホームレスや大麻を吸っている人を見た時の衝撃は大きかった。
世界を代表する先進国として多岐にわたって著しい成長を遂げ続ける一方で、
格差社会の深刻化や大国であるが故の治安維持の難しさなどの現実を目の当たりにした。
果たして国家が成長することは全国民にとって幸福をもたらすものなのか、
アメリカで見た現実は国家の成長と一概に言えるのか、このような難しい疑問を抱くとともに、
将来自分が学ぶべきことをイメージすることができ、このアメリカでの経験はかけがえのないものになった。
ワシントンD.C.については、正直「日本よりも綺麗なのでは」と感じたほどゴミがなく落ち着いた街だった。
駅の近くにはスタバなどもあり、日本にいるような感覚さえ覚えたほどである。
後から行ったNY などと比べて圧倒的に綺麗で治安が良かった。
NYについては、主に自由時間に歩いたタイムズスクエアが印象に残っている。
ワシントンD.C.ほど綺麗とは言えないが、ゴミ箱もあり思っていたほど汚くはなく、
気になるほどではなかった(何でも偏見を持たずに現地に行って感じるのが一番)。
賑やかで楽しかった一方で、外国人を狙って無理やり自分のCDを渡してチップを要求してくる危ない人が多く、
そのような人には変に返事などをしないのが一番だ。
他にもコスプレをした人が一緒に写真をとってお金を求めてくる場合もある。
タイムズスクエアで印象深かったこととして、車の交通量が多いにも関わらず、
信号を守らない人がほとんどだったということもある。
このような点ではやはり治安はそこまで良くない。
しかし、やはりタイムズスクエアは圧倒的で全てのスケールが格別だった。
ワシントンDCとNYにおいて特に初めて経験したことは、チップ文化だ。
ベッドメイキングをしてくれた方に感謝の気持ちを込めて、朝の部屋を出る際にベッドに1ドルを置いた。
他にも飲食店では会計の際に食事代とは別のチップ代もあり、
感謝の文化が染み込んだアメリカに感激した。
言語に関心を抱く私にとって多民族多言語が存在し行き交うアメリカはとても刺激的だった。
英語のほかによく耳にした言語はスペイン語やスペイン語訛りの英語だ。
米州開発銀行の職員の方によるプレゼンは英語だったがスペイン訛りだったので
聞き取るのが難しかったのを今でも覚えている。
多民族がいるために流暢な英語でなくとも会話を難なくさせてくれるのもアメリカの特徴だと感じた。
頑張って理解しようとしてくれる人も多く、そういったことは学校交流でも感じ、
だからこそ英語学習の必要性をも感じた。
(余談ですが、”a little bit”はうまく発音できればカッコよく聞こえるのと、使い勝手が良いという点で結構使いました笑)
OB交流会で米州開発銀行の奥村先輩に習得するべき言語や言語学習に向いている大学など
言語についての質問をしたところ、
英語のほかにスペイン語やアフリカで使われるフランス語、話者人口の多い中国語などが挙げられたほか、
マイナー言語の習得が役に立つかもしれないというお答えをいただいた。
例えばベトナム語。話者が少ない言語を学ぶメリットはその言語で将来の道が開かれ、
マイナー言語を話せる外国人が少ないからこそ、その人の希少価値は高くなり、
必要とされることが増えるということ。
将来何の言語を習得しようかしっかりと考える事ができた。
学校交流での感想は、人種は違えど同じ人間であるという当たり前のものだった。
異文化にも関わらず、好きな歌手、好きなスポーツが同じだったのを知った時、
感じたことのない感動を覚えた。
そして、今まで少しながら持っていた異文化を持つ外国人に対する心的な隔たりが完全になくなった。
世界中で起こっている人種差別をなくすために、異文化理解の重要性が叫ばれる中、
私は異文化と直接触れ合って理解することが近道なのではないかと思う。
コミュニケーションの際に感じたのは距離の近さやスキンシップの多さで、
初対面の高校生との挨拶がとても楽しかった。
フォーダム高校では彼ら独自の挨拶の握手のやり方があり、挨拶を大事にし、
それが当たり前になっていることに驚いた。
世界的な宗教であるキリスト教を大切にしてきた六甲生こそ、海外へ飛び立ち、
異文化に触れることに大きな意味があるように感じる。
自分の経験を踏まえた上でも、ぜひこれを読んだ皆さんには世界のどこかで何かを学んで欲しい。
それはどの国でも構わないと思う。
自分の知らない世界、異文化に触れることに意味があり、学ぼうとしなくても嫌でも勝手に学ぶことができる。
この報告記では、具体的な経験よりも抽象的なことが多くなってしまったと思うし、
当たり前なことを言っている箇所もある。
しかし、その当たり前は皆さんにとってただの知識でしかないように思う。
先進国の格差社会の現実や異文化理解の大切さ、こういった当たり前なことは知識で持つだけではなく、
経験して身に染み込ませることが重要だ。
この報告記を通じて、皆さんに海外に出るということ自体の意味をお伝えできれば光栄だ。
そして、皆さんにはぜひ海外経験を積んで欲しいです。
〜最後に〜
今回の研修で関わっていただいた先生方、先輩方、ガイドの方々などに心から感謝申し上げます。
この経験を将来活かせるよう日々精進していこうと思います。本当にありがとうございました。
まずは今回のNY研修に携わって下さった先生方、旅費を出して送り出してくれた両親、
そして共に過ごした82期、83期のみんなに感謝申し上げます。
僕にとって人生で1番楽しく、刺激的な体験になったこの研修について、綴らせていただきます。
今回の研修で僕が最も刺激を受けたのが、NYという街そのものでした。
研修に応募した時からアメリカの文化に興味があり、
NYに行けたらそこで見られる多文化社会を肌で感じたいと思っていました。
NYでの6日間で夕食時に多くの自由時間があり、タイムズスクエア付近を散策することができました。
誰もが見たことのある、モニターに囲まれたタイムズスクエアは、実際見るとその迫力に圧倒されました。
至る所で音楽や車のクラクションが鳴り響き、NYが文字通り「眠らない街」であることを実感しました。
一方でアメリカ経済の中心地、ひいては世界経済の中心地とも呼ばれるNYですが、
その街の格差にも驚かされました。
マンハッタンは地域ごとに住んでいる人の様子が大きく異なります。
例えばメトロポリタン美術館周辺には高級住宅地が広がっていました。
家賃が月100万円を優に超えるようなアパートが立ち並ぶその地域はアッパーイーストと呼ばれ、
明らかに他の地域とは雰囲気が違っていました。
その一方でマンハッタンを地下鉄で北へ行くと、ハーレムという地区があります。
そこは黒人の人々が多く住む地域なのですが、
明らかにアッパーイーストとは雰囲気が違っていました。
道にはゴミが散乱し、ホームレスの人々が至る所にいました。
古き良き街並みではあるものの、あまりワクワクするような場所ではありませんでした。
この研修で見たNYという街は、日本では絶対に見られない光景ばかりでした。
多文化社会、多民族国家とはこういうものか、と衝撃を受けました。
そしてそこで生活する人々の強さにも感銘を受けました。
日本という小さな島国では味わえないスリルのようなものを全身で感じることができ、
とても充実した研修を送れたと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
来年以降実施される同研修で後輩たちがより良い経験が出来ることを願っています。
なによりNY研修にこのメンバーで行けたことを嬉しく思います。(前列左が僕です。)
今年度のニューヨーク研修は、3 月20~29日の10日間で実施された。
うち約3日は行き来の移動で、始めの約3日間はワシントンD.C.に滞在し、
その後約4日間はNY というスケジュールであった。
この長途は非常に刺激的であったし、同時に多くの学びを得る機会にもなった。
そのすべてをここに記述すると分量が多すぎて、手首が疲労骨折して本年度の受験に支障をきたすため、
今回は本研修の中でも特に学びや刺激の強かった経験について時系列でご紹介する。
以下の文章を読んで、次回のNY参加希望者が増えることを期待したいと思う。
1つ目は、ジョージタウンタウン大学を訪問したことである。
ワシントン2日目のプログラムだ。
僕は当時、海外の大学で研究員として活動することを夢見ていたため、とてもわくわくしていた。
はたして、ジョージタウン大学には食堂で熱心にノートを広げて勉強している学生が沢山いたし、
涼しい気候の下グラウンドの芝の上で寝転がって幸せを感じている学生もいた。
アメリカで暮らしたいと強く思ったのはその時が初めてである。
学費はとても高いのだが、それに見合ったものがあることは断言できる、、、はずだ。
ぜひ一度、海外の大学を見に行ってほしい。
日本の大学にはあまり見られない若者の知的な活力に強い影響を受けるだろう。
2つ目は、ワシントン3 日目のOB訪問である。米州開発銀行(IDB)と世界銀行にお邪魔した。
六甲OB(55期)の奥村さんが1日ガイドしてくださる中、我々はとても刺激的な経験をした。
僕の個人的な学びは、世界は遠くて近いのかもしれないという発見や、
プレゼンテーションをされた方に質問することがどれほど大切であるかという気づきにある。
前者の発見は、2 つの機関をぐるりと回る中で自然と理解したことである。
どちらも国際機関でマル秘情報も多いことから、施設を隅々まで見学することはできなかったが、
至る所で日本人らしき職員の方々を発見した。
そういう些細な出来事のうちから僕は世界の身近さ(狭さ)を感じさせられた。
勿論、良い意味で、である。
国際機関なのだから、日本人もいて当たり前なのだが、グローバリゼーションを実感する良い機会となった。
そして我々はいずれの機関でも職員さんのプレゼンテーションを拝聴する機会が数多くあった。
どちらでも途上国支援のアプローチや現状の課題について触れられており、
僕自身かなり興味をひかれるものであった(恐らく、他の多くのメンバーにとっても)。
そしてプレゼン後、プレゼン中、僕はたくさん質問を投げかけた。
初めは手を挙げるのに勇気が必要であった。
しかし回数を重ねるにつれて羞恥心は薄れていくものである。
僕、竹村がニューヨーカー竹村に近づいたのはここでの経験によるものが大きい。
本研修では生徒の自主性を育む機会が多くあり、これもその一つである。
今後研修に参加する機会のある生徒は、各イベントに積極的に臨んでみてほしい。
きっとニューヨーカー○○(←名字)の称号を手にできるはずだ。
3 つ目は、ニューヨークの夜街散歩である。研修5日目からは、NY で過ごすことになる。
そしてNY の夜はわくわくどきどきのオンパレードである。
研修では夜間のNY 散策が許可されたので、各人がタイムズスクエア近辺を探索する機会があった。
読者の皆さんも想像がつくと思うが、NYは本当に眠らない町であった。
そして建築物の大きさ、お店の商品の価格などすべてのものが超ド級であった。
一方、想像の範疇になかったこととしては、大麻臭や押し売りの多さが挙げられる。
日本に17年もいると、人はそこでの危険の少ない安定した生活に慣れてしまう。
アメリカの風俗は誰もが享受できるものではないだろうし、現状においてもそれは享受されていない。
だからこそマクロレベルでの普遍性を帯びる、多文化の混雑したこの集積物を直視した体験は、
僕たち全員にとって一生忘れられない記憶となるのだろうと思った。
鮮やかなドリームシティは、僕にアメリカだけではなくて、世界を教えてくれた気がする。
最後に他のメンバーの振り返りを見ると、姉妹校交流やOB交流など、
僕が紹介していない様々なイベントが挙げられている。
NYに少しでも興味がある人は、すべてのプログラムを一読してみるとよいだろう。
そして、行くかどうか迷っているならぜひ応募してみてほしい。
実をいうと、僕も最初は行くことに乗り気ではなかったのだ。
飛行機は怖いし、英語も話せない、抱き枕がないと眠れない、、、不安をたくさん抱えていた。
しかしこの研修を通して(おこがましいが)、僕はひと皮もふた皮もむけて成長したという自負がある。
今これを読んでいるあなたも一度挑戦しようと踏み出してみて欲しい。
たった240時間のプログラムだ。
なにも重圧感を感じる必要はない(旅費は要相談だが、、、)。積極的である限り、
素晴らしい前途が君を待っていることであろう。
NY に行けば価値観が変わる。誰かがそう言っていた。
果たしてこの言葉は正しかったのだろうか。
帰国してこの報告記を書いている今、確かに行く前とは価値観は変わったような気がする。
街中にあふれるカラフルなネオン、そのそばに立つ築100 年近いビル群。雑多な看板、
そこら中から聞こえてくる訛りのきつい英語。
五感で感じる全てが新鮮で、自らの価値観が変わった。いや変わらざるを得なかった。
ありとあらゆる文化が入り混じるまさに「世界の中心地」。
最新のトレンドが生み出されるそばで、往年の名作が楽しまれ、
街は常に爆音の音楽と車のクラクションで満たされている。
私はこの空間を楽しんでいた。
いつも画面の中にあった世界が、目の前に存在していることに興奮していた。
確かに仮にも5年間学んできたはずの英語はほとんど通じなかったし、
マクドナルドでは自分の注文番号すら聞き取れなかったが、とてつもなく楽しかった。
街に薫る大麻や、地下鉄に残る銃痕、毎日のように飛び込んでくる殺人事件のニュースなど、
日本とは比べ物にならないほどに治安の悪さを感じたが、それすらも新鮮で楽しかった。
しかしNYの街の様子は個人での旅行でも味わえる。
この研修の醍醐味はやはり学校交流だと思う。
現地の高校に通う同年代の生徒とほぼ丸一日共に行動し、
彼らの一日を身をもって体感することができた。
授業についていけば、数学を初めて見る方法で解くことになり、
休み時間にはクラスメイトから質問攻めに合う。
食堂で鶴を折るだけで周りに人だかりができたり
、なぜかペアの子ではなく生徒会長に連れていかれ校長室に挨拶に行くことになったり。
ほかにも頑張って隣の子に話しかけたら、私の英語が拙すぎたのか「何言ってるかわかんない」と言われたり。
確かに日本の高校と違う点も多くあったが、一方で体育を楽しみにしたり、
授業中にしゃべりすぎて先生に怒られたりと、我々と同じ点も多くあった。
何よりYouTubeの話やアニメの話で盛り上がれることが同じ世界に生きていることを実感させ、
場所が変わっても同じ高校生であることを感じた。
それでも学校内に様々なルーツを持つ生徒がいることや、
質問の流れで「お前の親はどこ出身?」と聞かれたりすることは、
日本で感じることのない経験であり貴重だった。
NY研修に参加して私の価値観は間違いなく変わった。
日本とは何もかも違う場所で、街を歩いたり自分たちで食事をしたりする経験は何にも代えがたく、
私の人生の最高の思い出であり続けるだろう。
最後にこの研修に際してご尽力いただいた全ての方、そして何より親に感謝したい。
私が個人的に1番学びを得ることができたと思っているのは、現地に暮らす人々とのコミュニケーション、
そしてOB交流会についてである。
世界の中心地の街並みや歴史上の建造物なども確かに印象的ではあったが、
現地の大学や高校を実際に訪れ現地の人々と触れ合うことは、
単なる旅行では味わえないこの研修ならではの経験であったからだ。
現地に着いて思ったのは、やはり英語は実際に聞く、
話すということを毎日実践しなければ決して成長しないということである。
最初にネイティブの英語を聞いたのは空港でアメリカ人に入国審査を受けた時であったが、
職員の英語の発音は速く、私は自分が何について聞かれたのかすら全く分からなかった。
日本のリスニングテストの何倍にも早く感じられる本場の英語に、私は少なからず不安を覚えた。
ただ、毎日学校訪問などの様々なカリキュラムを経験していくうちに、
日に日に相手の言っている事が聞き取れるようになっていった。
頭の中で英語を一旦、日本語に変換するという過程がなくなったからであると思う。
研修の終盤では、買い物の会計や国連の英語ガイドくらいなら難なく理解できるようになった。
ただ、自分の思っている事を英語で正確に伝えるということは研修を通してかなり苦労した。
自分の考えにピッタリあった表現が浮かばず、
どうしても簡単な単語を並べて「なんとなく」のニュアンスでしか話せない
ということが多かったように思う。
英語の授業等で習う文法やイディオムを知っているだけでは、
外国人を目の前にしてそれらを活かすことはほぼ不可能だった。
それよりも、何か尋ねる表現、断り方や感謝を表す表現など、
よくある状況で使える似た意味の英語表現を事前に複数ストックしておき、
そして実際に何度も使ってみることが、スムーズな英会話のコツであるとわかった。
そうすれば会話が単調にならないし、言いたいことの熱量も変えられる。
そして何よりも大切なのは「伝えようとする意志」である。
拙い英語でも一生懸命に話してみれば、案外伝わるものだとわかった。
言語というものはやはり実践あるのみだと改めて実感した。
また、OB交流会での先輩方との対話も貴重な体験であった。
経歴だけを聞くと自分とは全く無縁な生活を送っているように思われたが、
話を聞いていると、アメリカで働いている多くの先輩
方は、最初からNYで働きたかった訳ではないと仰っており、
学生時代は自分が海外で生活することになるとは全く予想していなかったようだった。
裏を返せば、今こうして先輩の話を聞いている自分だって、
何かの機会に海外で働くことになるかもしれないと思い、
自分が将来できることの選択肢が広がった気がした。
そのためにも英語は単なる受験科目、という認識をステップアップさせ、
世界中のより多くの人々と交流できるツールとして勉強していきたいと強く思った。
正直行く前は海外というものに漠然と不安を感じていたが、
研修を通してその不安はほとんど無くなった。
実際働くためには、語学力での課題がまだ多いものの、現地の高校生たちと話してみて、
またOBの話を聞いて、将来を海外で過ごすのもアリかなと思えるようになった。
この研修に関わっていただいた全ての方に心から感謝したいと思う。
僕は今回の10日間の旅の中でたくさんの経験をしました。
それらの中でも特に衝撃的だったこと、僕の記憶に深く刻み込まれたことを
この報告記では書かせていただきます。
まずは2日目から4日目まで滞在したアメリカの首都であるワシントンD.C.での体験です。
ワシントンD.C.には僕が想像していた荒々しさのようなものはあまりなく、
とても綺麗な街並みでした。
アメリカの国防総省やワシントン記念塔など政治に関する建物にも芸術性に富んだものが多かったです。
また文化の違いを感じることが多々あり、日本とアメリカの違いを肌身で感じることができました。
アメリカの大学の中でも歴史が長いことで知られている
ジョージタウン大学を訪問した時に感じたのは「環境の良さ」です。
生徒が運営している銀行があって生徒の自主性を重んじていたり、
広々とした敷地を最大限活用していて、
大学生の方の話からも充実度を伺うことができました。
次に4日目から9日目まで滞在したNYでの体験です。
NYでの日々は本当に毎日が驚きと新鮮さに満ちていました。
NYはワシントンD.C.とは全く違う様子の街でした。
特急列車の駅をおりた瞬間から高層ビルが立ち並んでいたり、大音量の音楽が聞こえてきたり、
大都会特有の喧騒を感じ、どこか恐怖まで覚えてしまうような街並みでした。
NYでは姉妹校であるフォーダム高校、セント・ピーター高校、クリストレイ高校の3校にお邪魔しました。
どの学校の生徒も社交的で、たくさんの生徒と接することができました。
研修旅行前は僕の話す英語が現地の方々に伝わるか不安でしたが、
拙い英語であっても姉妹校の生徒のみなさんは理解してくれてとても楽しい時間を過ごすことができました。
また同時に姉妹校の生徒のみなさんはパソコンを扱うのが非常に上手で、
アメリカのIT化が高校生にまで及んでいることに驚愕しました。
楽しいことが多かった研修でしたが苦しいこともありました。
僕はアメリカの食文化に適応することができず、NYではずっと胃痛に見舞われました。
しかしこの苦しみからいかに日本人が健康的な食事に馴染んでいるか、
そして僕の母がどれだけ食事の栄養に配慮してくれているかを、身に染みて感じることができました。
僕がこの研修で得た最も大きなことは、自分の現在地を知ることができたことです。
世界の中心地に滞在して、色々な人や文化に触れたことは大きな意義がありました。
僕はまだまだ未熟です。1人で世界に飛び込んでいけるわけでもなく、
大きな舞台で堂々とできる自信も持ち合わせていません。
しかし今回の研修でそこにたどり着くための道筋を把握することができました。
この研修を無駄にしないため、そして自分の道筋を確立し、
実現するためにも日々精進しようと思います。
最後に今回の研修に携わってくださった先生方、添乗員の栗本さん、
一緒に旅をして最高の思い出を作ってくれた82期、83期の仲間、
そしてなにより高い旅費を払って今回の研修旅行に送り出してくれた両親に
この場を借りてお礼の言葉を述べさせていただきます。
本当にありがとうございました。
▼タイムズスクエアにて
▼プレゼンを行ったフォーダム高校の講堂
・OB交流会
正直に言ってしまうと、六甲学院のOBの先輩と交流したところで
僕らの考え方や学校生活は変わらないだろうと思っていましたが、
ワシントンでの交流を行ったあと既に僕は変わっていた気がします。
ニューヨークでの交流会はもちろん、その後の高校訪問などもものすごく楽しみになっていました。
主に僕の考え方が変わったなと思った理由はアメリカに住む、
またはアメリカで働くのもありなのではと思うほどOBの先輩方がワシントン、
ニューヨークでの仕事にやりがいや生きがいを感じていたからです。
そして少し内容とはずれてしまうかもしれませんが、父も六甲学院のOBなので、
父の同期である先輩方の話が聞けて個人的にすごく話が入ってきやすかったです。
皆さんの話の内容はそれぞれ違っていましたが、
全員が共通しておっしゃっていたのが今の六甲での生活を思いきり楽しめということでした。
僕は今とても学生生活が楽しいです。
そして先輩方はその楽しさを社会に出ても忘れることなくそれぞれの仕事を頑張っているので、
僕にはそれが何よりもかっこよく見えました。
このOB交流会を経て僕は学生生活を今以上に楽しみ、
それを継続できるよう受験勉強に励みたいと改めて感じました。
・高校訪問
僕はこの研修がアメリカに行く最初の機会ではありませんでした。
ですから人並みよりは英語に自信があり、実際初めて海外に行く友達をかなりサポートできたと思っています。
ただ高校での英語はレベルが一段と高かったです。
僕たちも高校では文法的におかしな日本語をよく使うと思いますが、
そのような英語が飛び交っていた高校では、日本で学ぶ英語では対抗できませんでした。
しかしながら姉妹校もキリスト教の学校であったため宗教関連の話は理解できないこともなかったです。
とはいえ学校で仲良くなった友達は親切に僕と話してくれて、
この姉妹校訪問も僕にとっては貴重な財産になったと思います。
このような経験は六甲のニューヨーク研修でしか味わえないと思います。
未だに現地の友達とはインスタなどのSNSで会話することもあるので、
インスタを開きながら英語の勉強ができてとても有意義な時間を過ごせています。
・食事
アメリカでの食事は常にジャンクフードでした。
姉妹校訪問では3日連続ピザという日本ではありえない食生活でしたが、それもまた楽しかったです。
ほとんど食事は自由に好きなところで食べていいということだったので、
あまり学校では喋らないような友達とも食事ができ、貴重な時間でした。
そこで気づいたことは、アメリカは友人や家族との関係を大事にする国であることです。
つまり周りの人のほとんどが家族で食事していたということです。
日本でも食事は家族全員で食べる家庭は少なくありませんが、
客観的に見てアメリカの方が食べ物によって家族や友人との関係が深まっているなと感じました。
ですが個人的には、ジャンクフードは5日連続までが限界だと感じました。
帰国後の素うどんで涙が出そうになりました。
これも長期の海外研修でしか感じることができない良い経験だったと思います。
〜最後に〜 日本にはないものを五感で感じることができた貴重な経験でした。
もしかしたら将来アメリカで働いているかもしれませんし、アメリカで奥さんを見つけるかもしれません。
僕らにはまだいくらでも可能性はあるとOBの先輩方もおっしゃっていましたし、
この研修によってジャンクフードもある程度美味しく食べれることもわかりました。
全ての経験は色々な人の協力があったからです。
その人たちに日頃から感謝を忘れずに、そしていつかその恩を返せるように
今できることを精一杯頑張りたいなと思いました。
We are New Yorkers!
匂いも臭く、地下鉄の運転は荒く、物価も高く、
地盤が硬くて地震が起こらないために新しい建物と古い建物が混在する町。全てが新鮮だった。
日本のように整っておらず、日本の清潔さに逆にカルチャーショックを受けるほどだった。
そして、街中は全て英語で、日本のように日本語と英語の案内ではなく、
英語だけの案内でさすが世界の中心アメリカだなと思った。
その分英語の情報を日本語に変換するという作業をいちいちしなければ理解することが困難なので、
ただ街を歩いているだけでも変換作業で頭が疲れる。
部屋でテレビを見ていてもリーディングとリスニングを延々としているようで頭が痛い。
日本に帰って、母国語だらけの案内板を見た時は自分がいかに頭を使わずして生活をしているかを痛感した。
それともうひとつ思ったのはお土産屋に堂々と避妊具が売ってあったことと、
最近日本でも増えてきたが、テレビでピルのCMが放送されていたことだ。
日本は世界から見ても男女平等に関してまだまだ理解が足りていない国の一つであるが、
日本もアメリカのようにセンシティブな話題に対するオープンな感覚を見習うべきだと強く思った。
生活で感じたことはこれくらいにしてこの研修で経験したことを書いていく。
スミソニアン博物館では解説は全て英語で、まず翻訳して理解する必要があったが、新鮮な経験で面白かった。
国民の大半が日本人である日本とは違い、アメリカは建国時から多種多様な人種が定住していたため、
異人種への理解がかなり進んでいると感じた。これは学校訪問の時にも思った。
2校目のクリストレイ高校は肌の色が違う人々が集い、みんな一体となって学んでいる姿があった。
やはり日本も見習わなければならない。
ここから僕はこの研修で一番楽しみにしていた学校訪問について書いていこうと思う。
ここではフォーダム高校のみを取り上げる。
学校訪問は楽しみといえども、全て英語で会話することは少し不安だった。
だがフォーダム高校のバディの子は積極的に話しかけてくれて、僕も最低限の会話はできたので、
意外と英会話ができるなと思った。
その日は2限まで一緒に授業を受けるというプログラムで、1限目は彼が専攻していた音楽。
彼はギターが上手で横でずっと聴いていた。
アメリカは選択制の授業のため、1限分授業が空くことがあり、
その間に軽く校内を案内してもらい、生徒は無料の食堂でピザを食べた。
日本とは比にならない大きさでとても美味しかった。
2 限目は英語。ここで思ったのは全員がマイパソコンを持ってそれを使ってプレゼンをしていることだ。
日本のような講義型ではなく、相互参加型の授業が新鮮だった。
黒板はなく、大きなスクリーンに表示される仕組みだ。
日本の教育は世界一ではあるがコロナでギガスクール化したとはいえ、
IT の面ではアメリカに劣っているように感じた。
そして六甲がプレゼンをした後、彼は授業に行った。
彼は6月末に日本に来るらしく、その際六甲にも来るらしい。楽しみにしている。
この研修は僕に様々な気づきを与えてくれた。
異国の文化・感性・教育に触れ、世界の中心アメリカで日本とは異なる様々な気づきを得ることができた。
これから先六甲生活や社会に出てからもこの貴重な経験を周囲に伝え、還元していこうと思う。
最後になりますが引率してくださった先生方ありがとうございました。
これからもNY研修は続いていくと思うので是非積極的に参加してもらいたい。
本当にこのメンバーで研修に行くことができてよかったと思う。
ニューヨーク研修を終えて僕が面白かったと思ったプログラムとそれらの感想、
全体の振り返りを書きたいと思います。
まずニューヨーク研修は高1、高2合わせて18人が10日間ほどアメリカに行き、色々なことを学ぶ研修です。
現地で働いているOBの先輩、姉妹校との交流など様々なプログラムが組まれており、
余裕があればぜひ応募するべきだと思います(応募した後、志望動機と面接で選ばれます)。
それでは本題に入りましょう。
僕が面白かったと思った事の一つ目は姉妹校との交流です。
今回の研修ではフォーダム高校、クリストレイ高校、セント・ピーター高校と交流しました。
僕はこれほど楽しいものだとは思っていませんでした。
六甲では生徒会役員になれば日本の姉妹校との交流、
高2になればシンガポール研修内で現地の姉妹校との交流があり、ありきたりなものじゃないかと思っていました。
ですが実際現地の高校を訪ねてみると、みんなとてもフレンドリーに話かけてくれ、
趣味やスポーツなど色々な会話ができました。
研修全体を通してあまり英語が聞き取れずうまく会話できたことは少なかったですが、
高校生とうまく会話できた時の嬉しさは凄かったです。
フォーダム高校では六甲みたいな講堂があったりして、イエズス会の国境を越える繋がりを感じられました。
また特に驚いたのは、学校に3Dプリンターが置いてあり、エッフェル塔を作っていたことでした。
初めて実物を見たので興奮しながらペアの人と話したのを覚えています。
クリストレイ高校ではとにかく高校生のノリがよく、教室に入ったときや、廊下ですれ違ったとき、
一度顔を合わせただけなのに覚えていてくれて話しかけてくれました。
セントピーター高校では事前に現地の高校生とペアを組みメールでやり取りをしていたので、
意外とすぐに仲良くなることができ、その後のグラウンドゼロ(9.11のワールドトレードセンターの跡地)も
一緒に楽しく回ることができました。
二つ目はスミソニアン博物館です。スミソニアン博物館は全部で19個の博物館があり、
僕たちはアフリカ系アメリカ人歴史文化博物館、航空宇宙博物館の2つを訪れました。
アフリカ系アメリカ人の方は特に展示物の説明が全て英語で、みんなGoogle翻訳を使ったりしていたのですが、
僕はWi-Fiが繋がらず3時間和訳をし続けました。
内容は重めのものが多くて、奴隷船の中の構造などいわゆる負の歴史なども詳しく展示されていて、
アメリカの歴史をよく知ることができました。
航空宇宙博物館の方は、行く前から1番楽しみしていたもので、
僕の期待に応えてくれるほど素晴らしいものでした。
残念ながら世界大戦の時代のものが展示中止されていてかなりの部分を見ることができなかったのですが、
ライト兄弟の飛行機、ロケットのエンジンなど、本当に面白いものばかりでした。
~振り返り~
研修全体を通して僕はあまりアメリカ人に積極的に話しかけにいけませんでした。
何かしようと思う時には、その日だけ頑張ろうと決めたとしてもうまくいきません。
常日頃から積極的に話したり、意見を出したりすることが重要なのだと感じました。
意見を出さなくても、その事に興味を持つ、何か調べてみるなど小さな行動でもよいので、
何事も基礎である日常を大事にしながらこれからも学び、行動していきたいと思います。
また博物館でわかったことですが、
ある物事についての真実を知るためにはいいイメージの歴史や背景だけでなく、
人が隠したくなるような負の遺産を知らなければいけないのだと感じました。
例えば成績がいいという人がいたとして、成績という一つの観点からのみ見れば、
その人の評価はとてもよいものになりますが、もしその人がよく遅刻していたり、
異装していたらどうでしょうか。
おそらく多くの人は成績が良いのに素行があまり良くないなぁとがっかりするでしょう。
ある一点から見るのではなくいろんな視点から見てみる。
これはこれからの六甲の生活で、特に行事において役に立つ考え方だと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今回の研修で得たことを糧に生活していきたいと思います。
右が僕、左がペアのBradyです
僕が今回のニューヨーク研修で印象に残ったことが2つあります。
1つ目は、セントピーター高校でのことです。
僕がセントピーター高校で掲げられていた旗を見ると、その旗には“For & WithOthers”という、
六甲でおなじみの“Man for others with others”とよく似たモットーが書かれていました。
また、セントピーターだけでなく、フォーダム高校、クリストレイ高校でもそうだったのですが、
どの高校でも授業の初めや1日の始まりに瞑目をしました。
僕はこれらのことから、10,000キロも離れた3つの学校が、
文化も言語も違えど同じモットーの基で学んでいるのだと知り、
六甲特有の学びは世界にも通ずるものなのだと再確認できました。
セントピーター高校の校内見学で僕が体験した授業は、英語と物理でした。
英語の授業では、主にふたつのことをしていました。
一つ目は詩の朗読です。正直何を言ってるかはさっぱりわかりませんでしたが、
ペアが優しく教えてくれて何とか理解できました。
二つ目はアメコミの読み方を習いました。
そこでの授業は生徒と教師の対話によって成り立っており、
日本とアメリカとでの教育理念や生徒の雰囲気などの違いを強く感じました。
物理の授業では各々がプリントを解いてその後、動画を見ました。
二つの授業に共通して言えることは、授業は生徒と教師の対話によって成り立っているということです。
特に英語の授業では日本と比べて生徒の積極性が強く、
日本とアメリカとでの教育理念や生徒の雰囲気などの違いを強く感じました。
二つ目は、一番印象に残っていることなのですが、ジョージタウン大学の近くにいたホームレスのことです。
ジョージタウン大学では明るい学生の雰囲気や、古風な建物に心惹かれましたが、
そこからほんの数分歩くと何人かのホームレスを見かけ、アメリカでの貧富の格差をひしひしと感じました。
それに加え、その後に訪れたボランティアの施設で支援を必要としている人や、実際に支援をしている人々を見て、
将来僕も人に助けられるような職業に就きたいなと強く思いました。
総括すると、僕は今回のニューヨーク研修で人を助ける仕事に興味を持ち、
また、アメリカならではの多様な文化の共存を五感で感じるという貴重な体験を得られました。
このことを踏まえてこれからの自分の将来のことを深く考えていきたいと思います。
今回のNY研修で感じたことを①OBの企業訪問&交流会、②高校訪問の2つの観点で振り返りたいと思う。
①OB企業訪問について
正直僕が一番楽しみにしていたのはこのOB交流会である。
自分でNYに行ったとしてもこのような世界で活躍されている先輩方にお会いできる機会なんてないからだ。
まずはワシントンD.C.で活躍されている先輩方の話を聞いての感想を書きたい。
先輩方が働いている企業は米州開発銀行と世界銀行であった。
米州開発銀行ではイノベーションの話を聞いた。
イノベーションとは革新的な技術や発想で新たな価値観を生み出し、
社会の大きな変化をもたらす取り組みのことを指す。
米州開発銀行は中南米・カリブ諸国の経済・社会に貢献することを目的として、
1959年に設立されたものである。
ここではただお金を貸したり、あげたりするだけではなく、技術を提供しているのだが、
米州開発銀行は技術を開発するのではなく、技術がある企業に投資をしており、
その企業の集め方がとても面白かった。
それはコンテストを行い、優秀なアイディアに投資をするというものだった。
とてもアメリカらしい方法だと思ったとともに、
いつか自分も困っている人のために何か開発できればと思った。
世界銀行では色々な観点から課題解決を試みていた。
貧困国にお金を貸し、経済成長させるのは勿論のこと、ジェンダーの観点からも課題を見ていた。
その中で印象に残った言葉は、「日常生活に疑問に思うところは溢れている、
ただ自分が気づいていないだけ」という言葉と、
「マイノリティーにしか気付けない問題もある」という言葉である。
六甲学院では上半身裸で行進することは普通であると思っていた。
それまでは上半身裸が嫌という言葉は、学校の中ではもみ消されていたのかもしれない。
しかし、実際体育祭で着衣が認められた時初めて、
上半身裸を嫌がっている人もいるのだと気づいた。
このように実は嫌がっている人がいるのかもしれないと考えながら過ごすと、
視野が広くなったように感じて、人助けをするには気遣いが必要だと思った。
米州開発銀行、世界銀行の先輩方を見て共通していたことは、
「人助け」という仕事をしていたことだ。
これは六甲学院の“Man for Others”の精神が受け継がれているように感じた。
世界で働いている先輩も人助けをしていて、改めて人助けをする大切さを実感した。
②高校訪問について
僕たちがNYで訪れた3つの姉妹校で感じたことをまとめたいと思う。
僕が特に印象的だったのはとにかく、自由であったことだ。
日本の学校では考えられないくらいみんな騒がしかったし、自由に立ち歩いたり、
授業中にスマホを触ってる人たちがいた。
自由で個人主義的であるからこそ真面目じゃない人が生まれて、置いてかれる人が出て来るような気がした。
またデジタル化が進んでおり、紙を全く使わずパソコンで授業を受けている高校もあり、
パソコンの技術がとても高く、全くパソコンを触って来なかった僕にとってはとても大きな差を感じた。
先生の働き方にも違いがあった。子供を連れて授業をしている先生がいて、
これは女性も働きやすい環境づくりがしっかりしていて、日本にもこのような働き方を取り入れれば、
今後の日本がよりよくなって行くのではと思った。
~まとめ~
最後にNY研修の全体を振り返りたいと思う。
まずは、NY研修にあたってお金を出していただいた親、
自分たちが安全に生活できるようにしていただいた栗本さん、
そしてこのような機会を経験させていただいた先生方、
この研修に関わっていただいたすべての人に感謝をしたいと思う。
僕はNY研修に行って今までとは全く違う環境に触れ、多くのことを学んだり、
NYで働くことに憧れた。
しかし、そのためにはまだまだ自分にはまだ足りないことだらけだ。
まずは自分の現在地を知り、一歩ずつ進んでいければといいと思う。
そして自分だけの経験として留めずに、これからの六甲の友達にもこの経験を伝えていければと思う。
私はNY研修に参加し、非常にたくさんの新しい世界に触れられたと感じます。
この報告記の中ではそれらの中でも特に自分の進路、将来像に影響を与えた経験を中心に書くこととします。
1つ目はワシントン、ニューヨークで行われたOB交流会です。
ここでは有名な日本企業、国際機関、アメリカの大学など様々な場所で活躍されている
OBの方たちと直接お話しする機会を得ることができました。
なかでもワシントンでお会いした研究員の方からは、
私自身が現在行っている研究やアメリカでの研究者としての働き方、
メリットなどについてうかがうという非常に貴重な経験をすることができ、
その方は私自身がアメリカで研究者を目指す上でのロールモデルとなりました。
自分にとってとても高い目標である一方で、六甲学院を卒業してそれを実現した方がいて、
直接話せるというのは、自分にとってとても勇気をもらえ、
モチベーションを上げることにもつながる経験でした。
2つ目は、大学訪問です。ジョージタウン大学を訪れ、学生の方と一緒にキャンパス内を回りました。
大学の中は非常に自由な雰囲気で、一面ガラス張りの現代的な会議室のようなところで
議論を交わしている教授や生徒の方もいれば、
そのすぐ横にあるソファで寝そべりながら教科書を読んで資料を書いている人もいて、
日本の大学では見られないようなキャンパスの様子に衝撃を受けました。
加えて、生徒だけで仕入れ・会計などをすべて行い運営されている売店や、
PCの修理店なども、日本ではあまり見かけない光景でした。
一方で学生寮側には、荘厳な雰囲気のある大きな教会や歴史を感じるレンガ造りの時計塔など、
現代的な部分と伝統的な部分が共生していました。
この新しいものと伝統的なものの共存というのは、現在の六甲学院が直面している課題と
重なるのではないかと思います。
3つ目は学校訪問です。訪れた3校の中で私がもっとも意義深い経験になったと感じたのは、
クリストレイ高校です。
ここでの体験が最も印象に残っている理由は、生徒のみんなと最も近い距離で
話すことができたと思うからです。
食事の時にはまるで普段から一緒に話しているような感じで楽しく米国や日本のことについて
お互いに話すことができ、日々の英語学習の成果が表れたように感じました。
スペイン語の授業に参加したとき、「スペイン語はもっともアメリカで人気な外国語なのですか」
と質問したところ、実は彼らにとってスペイン語は外国語ではなく家で使う母語であったことがわかり、
アメリカの多様性を垣間見ました。(この質問で気を悪くした生徒がいたら申し訳ないのですが…。)
また両都市で訪れた博物館や、神戸はもちろん東京をも凌駕するニューヨークの街並みは圧倒的で、
刺激を受けました。
以上が私のニューヨークでの体験の報告になります。
携帯電話に表示される通知が全てアメリカの友人からのメッセージで埋まっている!
ということに自分でも驚きですが、
これはNY研修で僕が得たことの1つです。
盛り沢山なプログラムで過ごした10日間を、僕はこの研修に参加した志望動機に沿って振り返りました。
⚫OB企業訪問・交流会
アメリカで活躍されている卒業生を六甲の仲間と共に訪れることができるのが
この研修の醍醐味だと思い、詳しい事業内容やその意義、
今に至るまでの経緯や今後の展望・課題など教えていただきたいことが沢山ありました。
米州開発銀行(IDB)でも世界銀行(WB)でもOBや職員の方々が僕たち向けにプレゼンや案内を
してくださいましたが、日本語でも難しいと感じる内容でした。
その中で印象深かったのは、1つのプロジェクトを進めるとなると、
技術だけではなく政治・経済・統計・地理など色々な方向からのアプローチや協力が必要で、
その為には国や分野を超えた様々な構成員が必要だということです。
特に将来の展望はないけれど今頑張ったり力を入れて取り組んでいることが、
思いがけない道に繋がったり結果を生むことになるかもしれないと感じ、
このままコツコツ続けようと思いました。
更に皆さんのこれまでの経歴を聞いて、自分の進路への考えや道筋も広がった気がします。
交流会では様々なルーツを持つ人たちと仕事をすることの難しさや面白さや
リーダーシップについての意見を伺ったり、
進路相談にのってもらったりして、帰国後早速実践しています。
とても刺激を受けた時間でした。
⚫姉妹校訪問・交流
楽しみであると同時に英語力に不安があるので、試練だと思っていました。
事前学習で先輩と2人1組でプレゼンの準備をして、それぞれの高校で発表したのですが、
話を始める前はすごく不安で緊張しました。
しかし話し始めると相手の学校の生徒達の反応がとても良く、
歓声や好意的な笑いが起きて良い雰囲気になり、安心して話すことができました。
出席した授業で自己紹介をした時も同様で、英語を話すことに大胆になれたきっかけでした。
事前にメールでやり取りしていたセントピーター高校のLucasだけでなく、
親睦を深めた何人かの生徒と今も交流を続けていて、
楽しみながらも必死でメッセージのやり取りをしています。
クリストレイ高校の歴史の授業にて
セント・ピーター高校のペアLucasと
⚫インドネシアのジャカルタと絡める
小5から小6にかけて約1年半過ごしたインドネシアでは、常に強烈な貧富の差を目の当たりにし、
自分と同じくらいの年の子ども達がその場限り、
その日しのぎの労働力として親から頼られている場面も多くありました。
こういう悪循環を断ち切るための根本的な部分での支援の大切さを強く感じていたので、
まさにそこに通じる活動を仕事としてされている六甲の先輩方や
国際機関・国際企業の方々の話を聞けたことは本当に有意義でした。
⚫最後に
英語も発表も得意だとは言えない僕が研修プログラムに参加し、
現地での研修後も必死で学び続けていることが、多くの後輩の希望となることを願っています。
ニューヨーク研修は2024年3月20~29日の10日間で行われ、行き帰りに合計3日間、
ワシントンD.C.で3日間、ニューヨークで4日間のスケジュールで過ごした。
とても充実した10日間だったので、ここでは「ニューヨーク研修で感じたこと」と題して、
僕がニューヨーク研修で経験したことや考えたことを振り返りたいと思う。
第一にアメリカの街を歩いてみて思ったこと、次に個人的にこの研修で最も楽しかった姉妹校訪問について、
最後に全てを振り返って考えた自分なりの反省点と、
次回以降のニューヨーク研修に参加する生徒へのアドバイスを何点か述べようと思う。
○アメリカの街について
アメリカの街を歩いて最初に感じたことは、電柱が全くないということである。
したがって、電線もほとんど目にしないので、日本と比べて街の景色がすっきりしていた。
個人的にとても気に入った点であった。
一方で街中には謎の異臭がするスポットが多々あり、日本よりゴミも多かった。
特にニューヨークはいろいろな人がおり、場所によっては常にどこかで誰かが叫んでいるような状態であった。
夜に出歩くと、大きな黒人の人に晩飯代をせがまれたり、
ジャッキーチェンに見立てられて勝負を挑まれたりすることなどもあった。
少し怖かったが、建物などを含めた景色が日本とは全く異なりとても面白かった。
高層ビルが半端じゃないくらいに高く密集していたので、
一つ倒れたらドミノ倒しで全て倒れてしまうのではないかと思うほどだった。
良くも悪くも日本では味わえない環境である。
またスライド式のドアがほとんどなく、なぜかは分からないが扉は一貫してとても重かった。
車椅子の人用にボタンを押したら開く扉もあったが、これもスライド式ではなかった。
店員の態度も異なっていた。
レストランなどのチップを払う場所では日本と変わらなかったが、
逆に店のレジ係などのチップを払わない場所では、無表情で効率しか考えないような態度であり、
僕が財布からお金を出すのに手こずっていると「早くしろ」と言わんばかりに指で貧乏揺すりをし出す始末だった。
おかげで僕はレジで小銭を財布から探すのが気まずくなり、お釣りとして貰うばかりで小銭を消費できず、
日本に大量の小銭を持ち帰る羽目になった。
ただ店員の態度に関して言えば、僕は生活するうちに、
アメリカ人はレジ係の店員に対して最初から良い態度など期待しておらず、
日本人から見たら悪い態度でも、アメリカ人から見たら当たり前の態度ように感じるのではないかと思ってきた。
チップがないから客に気配りする筋合いがないのだと考えれば、
客は悪い態度を当たり前のこととしてスルーするし、店員も緊張感をもつ必要もなくなるので、
ある意味筋が通っているなと感じた。
○姉妹校訪問について
六甲学院の姉妹校であるフォーダム高校、クリストレイ高校、セントピーター高校の三校を訪問した。
それぞれの学校には校内を案内してくれるペアの生徒がいた。
基本的にはペアの生徒が受ける授業を一緒に受けて、日本からもってきたプレゼントを渡し、
交流の時間は自由におしゃべりをする。
ペアになった人はみんな陽気で、積極的に話しかけてくれた。
スポーツや音楽の話は日本とアメリカで通じる内容が多いらしかったのだが、
それらについてあまり広く知らなかった僕は、話題選びに困り満足して話すことができなかった。
自分が好きじゃないことに関しても、もっと普段から情報を集めておくべきだと強く思った。
ペアの生徒は、校内を移動している間に友達に会えば、すぐ握手やグータッチで挨拶をしていた。
とても友達が多いのか、人が多いところでは何人も連続でしていた。僕もペアの友達の何人かと握手したり、
名前を教え合ったりして楽しく過ごすことができた。
では訪問した三校それぞれでの体験を振り返る。
・フォーダム高校
ここではラテン語と化学の授業を受けた。
ラテン語の授業は日本の英語の授業のように、ラテン語の文章を訳したり、単語を復習したりしていた。
授業プリントを開かずに一番前の席で寝ている生徒に対して、教師は「これで何回目だ!」と言って怒っていた。
日本でも同じような状況は何度も目にしたことがあったので少し安心した。
しかし授業中に先生が、自分の好きなYouTuber の動画を流したり、
子供の時に見ていた日本のアニメ(マッハgogogo 英語名はSpeed Racer)の動画を流してくれたりして、
自由なスタイルの授業もあった。
マッハgogogo は明らかに教室にたった一人だけいる日本人の僕のために持ち出してくれた話題だったのだが、
僕は日本語タイトルを聞いたことがあるくらいの知識しかなかったということと、
向こうではSpeedRacer というタイトルであったこととにより、
授業中はまるで知らない国のアニメを日本の代表的アニメとして見せられているような気分になった。
化学の授業は気体の話だったが、女性の教師が授業をしている中、
前にあるホワイトボードの下の方に絵を描いている子供(6 歳くらい?)がいて、先生の息子のようだった。
また、教卓の近くの机にあるおもちゃのところまで行き、
小さく硬いボールがたくさん入った器で遊んでいたところ、
それをひっくり返してしまい、授業中に爆音が鳴り響いてしまうなどのハプニングがあった。
その一方で、たまにOxygen(酸素)!と叫んだり、先生の問いかけに対して答えを言ったりなど、
小さな子供とは思えないような知識力で授業に参加している場面もいくつかあり、
他の生徒もそれを当たり前のように容認している様子だった。
日本では全く見たことがない光景だったので、個人的には一番驚いた。
子育てをしながら働ける環境が多いことは素晴らしいことだと思ったが、
場合によっては、子供が泣き出してしまうなど、
授業を進めるのが困難になるような大変なケースもあるだろうと思った。
・クリストレイ高校
ここでは英語とスペイン語の授業を受けた。
英語の授業の初めに15分ほど先生や生徒が僕たちに質問する時間があり、
アメリカの印象についてなどいろいろなことを聞かれた。
先生が授業をしている間も近くの生徒に話しかけられたが、
先生がおしゃべりを注意することはなかった。
アメリカの学校の授業は、生徒が教師の話すことを聞き続けるような一方通行のものではなく、
それに加えて、教師が生徒の話すこと(質問や反対意見など)に反応する形で授業を進めていくので、
生徒のおしゃべりを厳しく制限しすぎると逆に教師も困るのだろう。
英語の授業ではシェイクスピアのハムレットを読み、映画版ハムレットの該当部分を見た。
普段英語を使う人達の英語の授業ということもあり、
シェイクスピアの難解な言い回しを理解しながら授業について行くことは私には難しかった。
スペイン語の授業は先生も生徒もスペイン語を使い、
また先生が提示した答えのない問題に対して自分の意見を言い合っていた。
六甲のLC(英語のみを使う英語の授業)では考えられない光景であり、
生徒みんなが、スペイン語を堪能に話し、思ったことを表現していた。
僕は日本人が英語を話せないのは日本の授業形式のせいだと思っていたが、
どうやら正解のようだった。
誰かが作った文章を口に出して読むのではなく、
自分で考えたことを口に出さないと会話能力には結びつかない。
僕が授業中に何が何だかわからない状態でいると、ペアの生徒が誰が何を言ったのかや、
今何をしている時間なのかを、スペイン語を英語に翻訳しながら丁寧に教えてくれた。
・セントピーター高校
ここでは物理と歴史の授業を受けた。
物理の授業は配られたプリントの問題を解き、その後教師がそれを解説するという、
日本でも典型的な授業であった。
理系の物理で発展的な内容だったので僕には解けなかったのだが、
解説を聞くかぎり公式を使った簡単な式変形をしていた程度だったので、
どうやら基本的な部分を学んでいるようだった。
歴史の授業ではアメリカの歴史について学んだ。
先生は面白そうな方だったが、昼食後の授業で眠くて頭が働かず、
その上板書はせずスクリーンに画像や動画を映すのみの授業だったため、
英語の聞き取りが苦手な僕はあまり授業内容を理解できなかった。
フォーダム高校のAmir
クリストレイ高校のFran
セントピーター高校のEvan
○反省点: もっと世界のことを知ろうとしておくべきだった
米州開発銀行や世界銀行、国際連合は正直なところあまり思うように楽しめなかった。
原因は僕がそれらの機関についてよく知らなかったことだと思う。
よく知らなかったといっても下調べはしたし、学校の社会の授業で習ったことも忘れたわけではなく、
むしろしっかり覚えていた。
だがそれっきりだったことが問題なのだろう。
ただ興味がなかったからという理由で、普段から世界のことについて自分から知ろうとしてこなかった結果、
受動的に受け取った情報しか頭にはなく、
プレゼンを聞いていてもあまり面白いと感じることができなかった。
米州開発銀行と世界銀行を訪問した三日目は、およそ10人もの方々にプレゼンをしていただいた。
ほとんどの方が発展途上国の貧困や、ジェンダー平等などの社会問題に対し、
どうやって解決策を見つけるかという課題に取り組んでいたのだが、
最後にプレゼンをされた田辺さんという方はその中でたったひとり脳科学の研究をされていた方だった。
それまでのプレゼンで疲れ切っていた僕の頭は、脳科学という理系のワードが登場したことで一気に回復した。
その時の僕はまだ、自分の興味があることだけしっかり聞ければ良いと思っていたので、
そのような状況に不満を感じてはいなかった。
つまりいわゆる文系科目に分類されるような事柄が、自分にとってあまり重要だと思っていなかったのである。
しかし田辺さんのプレゼンやその後の交流会での話を聴き、自分なりに考えているうちに、
その認識を改めさせられた。
僕がしっかりと聞けなかった田辺さん以外の方々のプレゼン内容は、
とても世界的な規模のものであるので、文系だろうが理系だろうが、
個人がなにかの仕事を突き詰める上で避けては通れない内容であると分かったからである。
実際仮に理系の研究職になった場合には、何か新しいこと発見したとしても
それを活用してお金をもらわなければ仕事として現実的ではなく、
たとえ世界の役に立つような発見をした場合でも、
そこからビジネスの世界にも少なからず関わることになり、
世界銀行の様な機関に関する知識は必須となる。
私は物事を、文系理系という、単なる試験科目の違いでしかない物差しを使って、
勝手に分類してしまっていたのだ。
僕はこのように、狭く見れば関係のないように見えることでも、
広く見れば重要な関係性をもっている場合があることを実感した。
田辺さんはご自身の職業柄、良いアイデアが浮かばなくなることがよくあるらしいのだが、
そんな時は自分の研究分野とは異なる分野(例えば、数学、物理学、心理学など)の
研究者たちと会話をし、視野を広げて手掛かりを探していくのだそうだ。
このように僕は今回の研修で、今までの自分の興味や関心の幅がとても狭かったことと、
視野を広く持つことの大切さを学んだ。
○これからNY 研修に行く生徒へのアドバイス
・研修中の夜更かしは程々にすること
睡眠不足になって頭が働かなくなれば、英語が聞き取れなくなってきて、
その日の活動を無駄にしかねない。
そして何より、重要な情報を聞き逃して周りに迷惑をかける可能性がある。
・とにかく積極的であること
質問や会話は積極的に行うべきである。
自分から能動的に行ったことは、相手から一方的になされたことよりも
強く記憶に残るからである。
そのためにも、自分の考えていることを英語で言葉にする訓練は、
事前にある程度やっておくことが重要である。
最後に、高いお金を払って研修の準備を手伝ってくれた両親、
言語学の話で盛り上がった南條先輩、
同じ部屋で何かと気を使って下さった土井先輩や、
何かとずっと行動を共にしてくれた松岡、
そして、このニューヨーク研修に関わって下さった全ての先生方、
ガイドさん達やその他の方々に深く感謝する。
僕には今回の研修で得たものがいくつかあります。
1つ目は、自分の英語がどれほど通じるのか知ることができたということです。
僕は今回の研修中に、何度も英語で苦労する場面がありました。
アメリカの入国審査では、事前に栗本さんにどう答えたら良いか説明されていたにも関わらず、
審査官の方の英語が聞き取れずに何度も見当外れなことを言って困らせてしまいました。
出鼻をくじかれてとても落ち込んだのを覚えています。
またIDBやWBなどの訪問先では、英語のプレゼンが全然聞き取れませんでした。
僕は学校英語でのリスニングには結構自信があったのですが、
本場の訛りが入った英語には歯が立ちませんでした。
しかし自分の英語が通じた時の喜びはその分大きかったです。
スーパーの店員さんやホテルのスタッフの方と”Have a nice day.” を
言い合った時の満足感は最高でした。
また僕が聞き取れずに聞き返しても、だいたいの人は僕が理解するまで言い直してくれたし、
僕の英語に耳を傾けてくれました。
思っていたよりもはるかに優しくフレンドリーな人が多かったです。
だからこそもっと積極的に話しかけても良かったなと感じており、そこは反省点の1つです。
またこれから海外の人と関わる機会があれば、積極的に話しかけていこうと思います。
2つ目は、世界というものを肌で感じることができたことです。
今までは、海外の国々はどこか遠い場所で、日本よりも優れていて、
日本でエリートと呼ばれる人だけがたどり着けるような、
伝説か幻のような場所だと思っていました。
実際、日本よりも規模が桁違いに大きかったし、
向こうで出会ったOBの方々はエリートばかりでした。
ですが日本のほうがアメリカより断然綺麗だし、
アメリカと日本で似ていることもありました。
そして生意気かもしれませんが、正直海外で働くということは思っていたほど
難しいことではなくて、踏むべきステップを踏めばたどり着けそうだなと思いました。
つまり、自分の中での海外のハードルが少し下がったというか、
世界というものを、伝説か何かでは無く、
現実的な物として正確に認識できるようになりました。
将来必ずまたここに来て、今回出会った方々と同じか
それ以上の場所に行ってやろうと思いました。
ですがもちろんそのためにはまだまだ自分に足りないことも多いので、
まずは実用的な英語スキルを身につけて、
高校、大学といろんなことを学んで、
海外でやっていけるだけの力を身につけたいと思います。
最後に、今回の研修を企画して下さった先生方、
栗本さんら添乗員の方々、送り出してくれた家族、
そして一緒にたくさんのことを経験した仲間のみんなに感謝を伝えたいと思います。
本当にありがとうございました。
(文責 六甲学院教諭 48期 石崎 裕二)
日程:2025年2月20日(木)時間:19:00-21:00
形式:オンラインを交えたハイブリッド形式
場所:東京大学本郷キャンパス法3・4号館2階203号室
https://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_01_04_j.html
本郷通り側ガラス扉に案内の者がいます。
内容:「武宮神父と体育祭を通じて考える“六甲生らしさ”」詳細:
<基調講演>
・古泉元校長「武宮神父をいま考える」
<パネルディスカッション>
・古泉元校長
・81期 体育祭関係者
・50~70期 体育祭関係者古泉元校長の「武宮神父と六甲学院の教育」をテーマにした講演をヒントに、 参加者同士での意見交換を通して、 過去から通じる六甲での教育の普遍的な価値或いは変化すべき価値 について考えるきっかけを持ちたいと思います。
特にパネルディスカッションでは、六甲における教育を体現し、かつ時代の変化にさらされている体育祭を1つの題材として、 各世代で異なる体育祭への考えについて、 スピーカーや会場を交え意見交換を予定しています。
戦中・戦後・現在ともに一貫してどの時代でも”時代に合わない!”と批判を受けてきた、 六甲学院の教育の価値を改めて振り返る機会を皆様と持てれば幸い です。 ※特段申込みは不要ですが(当日ドタ参加歓迎です)大まかな人数把握のため、 参加ご予定者は参加ボタンを押していただければ助かります。
※オンライン参加者用のリンク以下ですが、できましたら会場で皆様のお顔を見れること幹事一同楽しみにして おります。
https://us02web.zoom.us/j/4217946926?pwd= Y2kyc1ozWUJ6VFB3aVFQWE12Y09XQT 09&omn=87260402145
ミーティング ID: 421 794 6926
パスコード: 144908 See less参加方法:以下のfacebook のページより申し込みいただくか、50期 川原(kawahara[アットマーク]ferix.jp)までご連絡ください。 ※ イベントの参照には以下の facebook グループへの登録が必要です(文責 50期 川原 弘行)
このほど、六甲学院の前校長である古泉肇さん(30期)が、初代校長の武宮隼人先生の理念と事績を中心に六甲学院誕生の物語をまとめられた「高みをめざして~六甲精神の源を探る~」という本を上梓されました。佐久間さんという名前のほうが馴染みぶかい方もおられるでしょうが、古泉さんは、1967年に30期生として入学、1977年から数学教員として母校で勤務された後、2015年に第9代校長に就任そして2021年に退職されるまで、長きにわたり六甲学院とともに歩んでこられました。
本の内容は、六甲学院の教育理念に始まり、武宮先生の名言を紹介し、六甲精神のルーツが語られるほか、学校生活や六甲学院の伝統などについてもわかりやすくまとめられています。(詳しくは目次参照)
巻頭言の中で古泉さんは「私はこの本で「原点に帰る」、すなわち「創立時の六甲に遡ること」、そして武宮隼人初代校長先生が実際に行った(目に見える)教育を通じて、目指していた(目に見えない)教育を探求することで、「六甲精神とは何か」「六甲らしさとは何か」を皆さんと共に考えていきたいと思います。」と述べられています。
六甲学院は80年以上の歴史を有し、時代の変遷や社会の変化とともに、各期の卒業生がイメージする六甲精神もそれぞれ異なったものとなっていることでしょうが、この本によって、あらためて考えなおしてみるきっかけになるのではないかと思います。
A5判 247ページ 2022年3月19日発行
編集・著者 古泉肇(こいずみはじめ)
※ご希望の方には1冊2000円(送料込み)で古泉さんより頒布されます。
伯友会では販売しておりませんのでお間違いなきようお願いします。
※下記のフォームよりお申し込みください。古泉さんより振込先案内とともに現本が送付されます。(振込手数料等はご負担ください)
※なお申し込まれた各自の情報は古泉さんにお伝えしますのでご留意ください。
大頭眞一[著] 時が満ちて ― マルコの福音書Ⅰ
発売元 ヨベル
価格 1,300円+税
内容【帯より】
「わかる」教えには誰も驚かない。
人々はイエスの教えに「驚嘆した」という。なぜ驚嘆したのか。なぜそれが「福音」と呼ばれたのか。現代人の心にもその驚異を再現することはできるであろうか。焚き火パスター・オオズの飽くなき挑戦は舞台を新約聖書「マルコ」に移していよいよ爆(は)ぜ、燃え広がる!(文責 36期 大頭 眞一)