17期関東同期会

開催日
平成29年12月8日(金)
場所
聘珍樓 横濱本店
参加者
後列左から
河西、大崎、及川、上田、西澤、内田、田邉
前列左から
久保田、小林、小坂田、成宮、横田
12名(敬称略)

関東では年2回、同期会を開催してますが、今回は場所は横浜、時間帯も昼間と、初めて尽くしでした。
聘珍樓横濱本店に12名が集まりました。
今年9月に常連の松枝君が血液の病気で他界されたという悲しい出来事がありました。
他にも徳大寺君が所用で、藤田君が体調不良で、前田君が奥様の介護で、米村君が奥様の定期健診などで欠席し、例年より(15-16名)参加者が少なかったのが残念でした。我々も後期高齢者の仲間入りで、周りで色々なことが起きる年齢になりました。

午後1時から、まず松枝君の冥福を祈って黙祷し、会が始まり、そして約2時間ほど昔に戻って歓談に花をさかせました。
全員が75歳を超えましたが、まだ準現役で頑張っている人(藤田、内田、田邉の諸君)、今年準現役を退いた人(大崎、西澤君)、一方、既に仕事を卒業した人、それぞれ好きな道で人生を楽しんでいます。

今回は久しぶりに長年、中国でトラック製造の指導をしてきた、大崎君が今年の8月に引退して、これからは同期会に出席できるようです。最近の中国の事情を話してくれ、特に中国の若者が目標を持ち、元気なことが印象深く感じられ、日本の若者と比べた時、両国の未来の力関係がどうなるのか心配とのことです。

(久保田 記)

16期関西・関東分散同期会

最近は神戸or東京に全員が集まるのは体力的にも経済的にも困難となってきたので、今年も関西と関東別個に同期会を行った。今回は1日違いの開催だったので、関西では関東の同期会様子の紹介が、関東では関西の同期会出欠者名(近況)の紹介があり、離れた場所でも一体感を持つことができた。

(関西)

日 時:
平成29年11月30日(木)12:00~15:00
場 所:
須磨観光ハウス
出席者:
相澤、東、金井、神谷、上村(カミムラ)、北村(史)、北村(豊)、木藤、小林(弘)、近藤、杉野、杉本(静)、杉本(福)、芹田、土居、丹羽、春名、樋口、本條、前田(啓)、馬戸、目賀田、屋代、安井、吉岡、吉田(弘)

今回は「すまうら会」が当番幹事なので、木藤君と金井君にお世話頂きいつもの須磨観光ハウスでの開催となった。全員77才喜寿のお祝い・前祝いに加えて芹田君の瑞宝中綬章のお祝いもあり、金井君の格別の配慮でお赤飯・尾頭付き・お祝いケーキなどのご馳走に囲まれた同期会であった。

木藤君の司会で冒頭、藤井次郎君の逝去を悼み黙祷、その後欠席者を含め全員の近況報告と前日の関東同期会の報告があった。近況報告では老人らしく病名のオンパレードと最近のメーカー不祥事への悲しみと怒りが中心話題であった。関東同期会の写真も披露されたが、長年会っていないので顔と名前が一致しないという人も多かった。月刊誌「KOBECCO」の六甲学院紹介記事も話題に上るなど楽しい懇親会で最後に記念撮影を行い終宴となった。次回は来年秋、「阪神会」幹事で開催の予定。

(吉岡啓次 記)

(関東)

日 時:
平成29年11月29日(水)11:30~14:00
場 所:
和食処 北大路「八重洲茶寮」
参加者:
明渡、今井、上村(ウエムラ)、岡田、古宇田、澤田、柴田、田中(真)、土田、中谷、中浜、元川、山下、渡邊

①冒頭 藤井次郎君の逝去を悼み黙祷及び献杯
②渡邊君から神戸の街の紹介月刊誌「KOBECCO」の六甲学院の紹介記事説明(関西屈指の文教地区「六甲」について)加えて神戸港の開港を推進した森垣驍君の先祖のファミリーストーリー紹介
③中濱君から東京平成塾での「藤井次郎君を偲ぶ会」(11/27開催)の紹介と説明(後輩の51期生が企画)
④その他各自近況報告  健康対応と運転免許の切り離し時期が主題
⑤来年の例会 2018年11月28日(水)で決定

(岡田俊一 記)

東京平成塾~16期藤井次郎氏を偲ぶ会

伯友会関東支部の発展に多大なる貢献をされ、同支部の異業種交流会「東京平成塾」にも強力な支援をいただいた16期藤井次郎氏(2017年9月ご逝去)を偲ぶ会を2017年11月27日に開催しました。20数名の方々が集まり、27期赤松神父や同期の中濱氏を始め生前の同氏をよく知る方々から、学生時代や社会人、関東支部でのご活躍などのお話を伺いました。同氏のお人柄、存在感の大きさを改めて全員で共有し、ご出席いただいた同氏の奥様にも喜んでいただきました。同氏の関東支部へのご貢献を改めて深く感謝するとともにご冥福を心よりお祈り申し上げます。

東京平成塾幹事 51期 田崎 朋広

29期2017年度同期会ご報告

開催日:
2017年11月25日
場所:
三宮・季節の創作料理「ペレ」
出席者:
(左から)松本宏、依田、高橋、山田、藤井則雄、磯貝、植田、八木、奈須(敬称略) 9名。

2017年11月25日に、三宮・季節の創作料理「ペレ」にて、2017年度の懇親会を開催しました。依田くんは獣医だけでなく、米や桃などの農作物の栽培に力が入っており、山田くんはご子息が六甲学院に在学しているなど、まだまだ現役で元気に働く必要がある状況を話して貰いました。続いて、出席者全員から近況を報告して貰いました。

文責 松本 宏

10期会

日時:
2017年11月24日
場所:
神戸銀行倶楽部
参加者:
(写真左上から)森、川村、小野、鈴木、佐藤、岩崎、木下、中村
(左下から)門田、植田、浜田、立花、井上、木津、安永、甲田

例年通り神戸銀行倶楽部にて平成29年11月24日開催。
参加者は前年より4人少なく16人が参加しました。
内容は毎年と変わりませんが、見るからに身体は皆、衰えている様に見えます。同じ釜の飯を食った仲間達、誰にはばかる事なく口だけは達者、その達者な気持ちで元気で暮らしていきたいと思います。また参加出来なかった仲間の近況が気になる方は各自が連絡を取り合って下さいませ。
尚、横山昌行君が本年9月に、山西昭君が本年11月にご昇天されました。全員で黙祷をして冥福をお祈りいたしました。

「月刊 神戸っ子」に掲載されました。

関西屈指の文教地区“六甲”について

関西屈指の文教地区“六甲”について ー扉

六甲山の麓で開校以来80年ずっと変わらない教育理念|関西屈指の文教地区“六甲”について
(六甲学院中学校・高等学校 校長 古泉 肇)

六甲山の麓で開校以来80年ずっと変わらない教育理念|関西屈指の文教地区“六甲”について

鍛え、蓄えた力を他者のために使う。この精神を忘れずに|関西屈指の文教地区“六甲”について
(伯友会 会長 石光 一郎)

鍛え、蓄えた力を他者のために使う。この精神を忘れずに|関西屈指の文教地区“六甲”について

2017年度伯友会報告-神戸-

去る4月22日、神戸ポートピアホテルにおいて2017年度伯友会懇親会を開催いたしました。卒業後25年を迎えた我々49期は、幹事期として昨年度の懇親会以降、飲み会という名の会合を重ねてまいりました。スタートダッシュ良く、懇親会の出し物は昨年で最後を迎えた久美浜キャンプを中心に動画撮影をして「六甲の今」を紹介する。ということですんなり決まったのですが、逆に早々と案が決まってしまったため、当初は本当に飲んでしゃべってを繰り返すただの同窓会を楽しんでいました。代表を務めた私の悪い癖が皆に伝染してしまったのか、まあ時間もまだあるしとりあえず動画撮影しとけば何とかなるだろう。という雰囲気が全体に蔓延したままなんと年を越してしまいました。慌てる私をしり目に、土壇場に強い49期、言い換えれば土壇場にならないと何もできない49期の結束力と底力を見せて、何とか当日を迎えることができました。
懇親会での出し物「六甲の今」と題した動画では、久美浜キャンプの他に、立山キャンプ・体育祭・文化祭といった学校行事、懐かしの便番・中間体操といった日常風景を老体に鞭打って参加しながら体当たりで撮影したものをコメント付きで紹介しました。この他にも49期と50期の有志によるアルゼンチンタンゴの生演奏も行いました。こちらは無責任にも本当に任せっぱなし投げっぱなしだったのですが、客観的に見てもかなりのクオリティだったのではないかと思っております。また、校歌と六甲学院賛歌も生演奏してよという無茶振りにも気持ちよく応えてもらい、感謝の一言に尽きます。これらの出し物は手前味噌ですが、なかなかの好評を得たのではないかと思っております。そして、司会には49期の渡邊三郎君とともにMBSの松川浩子アナウンサーに努めていただきました。プロに対して失礼ですが、さすがの安定感と華やかさで見事に進行していただきました。こうしてバタバタと迎えた本番ではあったのですが、総勢152名のご参加をいただき、盛況のまま終えることができました。
こうして担当幹事期を終えて、卒業後25年という節目の年にこういった役割をいただいたことは今後の49期の集まりに非常に有益だった、と改めて思っております。こうした機会をいただき改めて感謝いたします。関東懇親会の代表幹事であった五百旗頭薫君を筆頭とした関東方面の仲間達、今回は残念ながら参加できなった仲間達、これからもよろしくお願いします!

49期代表幹事 横山 央祐

2017年度伯友会報告-関東-

2017年7月8日(土)、東京丸の内にあります日本工業倶楽部にて、六甲伯友会関東支部懇親会が開催されました。
今年は東京平成塾も同日開催です。

伯友会の意義を、何より六甲生の交流にあると考え、今年は集客に力を入れました。。
結果、参加者は200名となりました。

もちろん、幹事の活動のみに因るものでは無く、伯友会幹部・事務局のサポートを得て結成した関東支部同期連絡幹事メンバーの活躍、そして幹事からの連絡に真摯に対応し、更に告知を進めてくれた会員の皆様のお陰です。
この場を借り、サポートいただいた皆様、参加の皆様に感謝します。

ここでは、当日の状況を少しご紹介します。

懇親会プレイベントの東京平成塾では、古泉校長に「六甲の今」を講演いただきました。
★東京平成塾 講師 古泉校長
参加者がいつもの数倍で、会場のデスクを撤去して追加のイスの準備が必要な程でした。
★東京平成塾 会場風景

続いての懇親会も、宴会場が手狭に関する程の参加者で、テーブルとイスを最小限にせざるを得ませんでしたが、その分だけ会員同士のコミュニケーションは活発になったと思います。
★懇親会 会場風景

さて、懇親会余興の「クイズ」について、一部を再録でご紹介します。
Q1:姉妹校<栄光学園、広島学院、上智福岡(旧 泰星)、六甲学院>の古い順は?
Q2:阪急六甲駅から六甲学院正門までの標高差は?
Q3:六甲卒業生に「五百旗頭」は何人?
皆さん、いかがでしょうか?
(回答は末尾)

今年の新たな取り組みとして、六甲生同士のマッチングにも力を入れました。
趣味や業種などによる六甲生同士のネットワーキングの端緒となればという思いでしたが、就職希望業種のある学生が大挙参加し、起業を検討している学生が起業中の会員の助言を受け、かつ起業した若手会員が年上の会員の面識を得てビジネスチャンスを得るといった様々な事例があり、幹事としても深い充実感を得ました。

他にも、上沼先生の絵画展示コーナー(25期辻さん)や、校歌と六甲学院賛歌をピアノ生伴奏(神戸から駆け付けた50期藤原さん)したりと盛り沢山でした。
★上沼先生絵画展示コーナー
★校歌 六甲学院賛歌 斉唱

懇親会お開きを前に、恒例の写真撮影ですが、実は一番の懸念点が「これだけの参加者を一同に撮影することが可能なのか?」でした。
結果はコチラ、バッチリです(実は23期西林さんのウデのお陰)!
★懇親会 集合写真

来年は50期が盛大な「お祭り」を企画しています。
告知については、先に触れた各期連絡幹事と共に、今回の出席者の皆様に許諾いただいたメール告知(可能ならメルマガ)も予定しております。
きっと大盛り上がりになることでしょう。

A1:上智福岡(1932)→六甲学院(1937)→栄光学園(1947)→広島学院(1956)
A2:130m(京都タワーの高さ131mと同じくらい)
A3:9人
★クイズ風景

(六甲伯友会関東支部懇親会2017年幹事49期)

アンコールワット・ベトナム旅行のトラブル&珍事

今年のむとせ会有志による海外旅行はカンボジア/アンコールワットとベトナムでした。ちょっとしたエピソードをご紹介します。

勝手な通訳にご注意!

ホーチミンの代表的な有名ホテルであるホテル・マジェスティック最上階の「M’s Bar」での出来事。
前日に二人が下見をし、旅を振り返る旅行最終日の夜にふさわしい眺めのよい席を予約しておいた。
席に着くと巧みな日本語で注文を捌いてくれ、ウィスキーをワンショットずつ注文して気持ち良く呑んでいた。ところが乾季には珍しく突然雨が落ちてきたので屋内の席に移動することに。我々と一緒に注文していないウィスキーのボトルもついてきた。ボトルがテーブルにあるのを不審に思い注文を捌いた男を呼ぶと、男は「二杯三杯と飲むとボトルの方が安いのでボトルを注文した」と言う。男はボーイと同じような黒い服装だが制服ではない。飲み助は二杯三杯と勝手に注いでボトルの半量ほどを空けていた。しかたなくボトルの半額を払うつもりで、手書きの勘定書きを細かくチェックすると、ボトルの半額より高めのボトル料金に飲み代とほぼ同額のミュージックチャージ料が書かれていた。すったもんだのあげくボトルの料金を半額に訂正させ、支払おうとすると現金で支払ってくれと言い始めた。私たちの旅行は帰国後の精算のためにクレジットカードを使用することが多い。ホテルのレジへ行き、ホテルの請求書をみるとミュージックチャージ料は記載されてない。男はミュージックチャージ料と称する金額を横取りする目的でホテルのボーイとグルになり手書きの勘定書きを示し、現金での支払いを要求したのだ。男は『儲け損なった』というような顔をしてトボトボと帰っていった。
賢明な六甲伯友会の諸兄には余計なお世話かも知れないが、海外旅行の時は勘定書きを必ずチェックすることが必要だ。今回のように英語で書かれていれば細かくチェックできるが、現地語で書かれた明細は読めない。しかし品数を数えるだけでも効果はある。そして巧みな日本語で近づいてくる人物(日本人を含む)には充分ご注意を。

支払は簡潔に

再びお金に係わるエピソード。
カンボジアの最終日、ガイドへの心づけのつもりで彼お薦めの土産を買った。それぞれが自分の支払額をガイドに手渡せばよかったのだが、揺れるバスの中なので後方から順繰りにお金を送っていった。しかし合計金額がたりない。酷暑の中で観光したあとの疲れた頭では勘違いも起こる。未だに原因は不明のまま。

人使いの荒いベトナム

ベトナムへ初めて訪れたときにサービス精神のない国だとの印象があった。十数年ぶりの訪問でもその印象はあまり変わっていない。
例えば普通のレストランではテーブルサービスのとき客のあいだに身体を斜めにして入ることをせず後の方から客に料理を渡したり、空いた器を客にとらせたりすることを平然とするのだ。気のよい連中は郷に入っては郷に従えと腹を立てることもない。もちろんホテルや一流のレストランでは洗練されたサービスを受けることができるが、十数年前にはそれもなかったので進歩していることは間違いない。

愛犬家のみなさまへ

今年でいよいよ51 歳、後期アラフィフ突入です。
LA伯友会の諸先輩からすれば「若いなぁ」になるのかもしれませんが、今の私が「若い」と言われそうな場所は、ついにここだけになってしまいました。
50歳ってもっとなんというかしっかりしたものだと思っていたのですが、中々現実は・・・
多分41期生の私が卒業した頃、佃先生が今の私ぐらいだったと思いますが、今思い返すとバケモノですね。

実は、ここ数年、LAで保護犬団体のボランティアをやらせてもらっています。
犬の保護活動を少しかじって感じるのですが、犬を取り巻く世界も、あの頃と今では大きく変わってきたようです。

私が初めて飼った犬は、友達の家で生まれた仔犬でした。
その友達の犬が死んだあと、ウチで生まれた仔犬をあげたりもしました。

その頃は、ウチの周りでは大体そんな感じだったと思います。。
お金持ちの家が、血統書付きの犬を飼っていたりということはあったのかもしれませんが、犬をお金を出して買うって言うことは、そのころ私が住んでいた奈良の田舎では聞いたことがなかった気がします。

飼うのはもちろん外飼い。
犬が家の中に入るなんて、考えられないというか、考えたこともありませんでした。

今は、どちらかというと室内飼いが主流になってきているように思います。
と言っても、日本を離れて27年、今の日本がどういう状況かはわかりませんが、ここLAでは外飼いが目立つのは、どちらかというとちょっと危ない地域になります。

時代や環境が変わることで、犬の状況も変わってきたということですね。
すごくおおざっぱに言ってしまうと、人間の生活と犬の生活が昔よりも大きく重なり合っているように思います。

この環境の変化の中で、犬の問題も随分と増えてきました。
無駄吠え、噛みつき等ももちろんそうですが、多分一番の問題は増やしすぎ、ということじゃないかと思います。

アメリカのペット保護団体最大手であるASPCAの統計によると、現在アメリカで飼われている犬は推定で7~8千万頭。これはちょっとすごい数字で、お隣の国、韓国の人口が約5000万人ですから、それをはるかに上回る数の犬がアメリカにいることになります。

その中で、シェルターと呼ばれる捨て犬の収容施設に入れられる犬が毎年約400万頭。実に神戸市の人口の2倍を大きく超える犬が毎年収容されています。そしてそのうちの約140万頭が運よく新しい家族を見つけ、約120万頭が毎年殺処分ということになっています。

シェルターや保健所というのは、もともと殺処分をする施設ではなく、放浪犬など飼い主からはぐれた動物の保護施設です。
それでもその収容能力には勿論限界があり、それを超える時、仕方なく殺処分という方法がとられます。アメリカの場合、その犬が放浪犬だった場合、つまり飼い主が分からない場合は飼い主からの連絡を待つということで比較的長く保護されますが、飼い主が直接持ってきた場合、殺処分のタイミングはずっと早くなり、そのシェルターの収容状態によっては1週間前後がリミットになってしまう場合もあります。

日本の現状でいうと、殺処分の数は大きく減っています。
私が初めて犬を飼った昭和40年代後半には年間1000万頭を超える犬が殺処分されてたそうです。
あの頃は、確かに野良犬をしょっちゅう見ていた気がします。だからこの頃の殺処分は野良が中心だったのでしょう。
今はどうかというと、環境省の発表によれば、平成26年度の統計で2万頭強だということです。
激減と言っていいと思いますが、内容を見ると今は飼い主の持ち込みが大半を占めているそうです。
日本の場合、短ければ保健所で生きていられるのは2泊3日
持ち込まれた日を1日と数えるところと、次の朝からカウントする所があるようですが、これがタイムリミットです新しい飼い主が見つからなければ、それで終わりです。
もちろん、保健所に余裕がある場合はもっと長く滞在できることもあります。

これを何とかしようとしているのが、民間の保護団体ということです。
行政も頑張ってくださっていますが、なんといっても税金ですし、この社会は犬好きばかりではありません。全員が犬好きで、みんなが犬を助けたいというのなら税金も沢山使えるのでしょうが、もちろんそんなことはありません。だから、犬好きが起こす犬の問題は、犬好きが何とかするしかないという当たり前の結論になります。なんとか、救える命は救ってあげたいと。

ただ、前述の通り、数が数ですから、全部という訳にはいきません。
また、安易に「殺処分0」を掲げると、また新たに問題が起きたりもします。
というのは、以前「殺処分0」を掲げた自治体があったのですが、近隣からその自治体に捨て犬が殺到するという事態になりました。みんな捨てはするけど、殺されるのは夢見が悪いんですね。
また、殺されないという前提が出来てしまうと、捨てるということのハードルがぐんと下がります。
気に入らなければ捨てればいい、ということにつながってしまうんですね。

実際、ウチの団体では、持ち込みは原則お断りしています。
自分でシェルターに持って行ってください、あなたのせいでこの犬が殺されるかもしれないという経験をしてください、ということです。
稀に引き受ける時もありますが、その時には犬を捨てる飼い主からお金をいただきます。
何もなしで引き受けて、あそこに持っていけば大丈夫なんて噂がたてば、うちなんかあっという間にパンクするからです。

では、殺処分0を目指さないなら何を目指すのか、というと、「捨てる飼い主、捨てられる犬0」を目指しています。
殺処分0で捨て犬の受け皿を大きくすると、結局犬を捨てるという蛇口が大きく開いてしまうことにつながるので、その蛇口を少しでも閉めることが先決だということです。

お手伝いするようになって3年ほどたちますが、その間に数百頭の犬が新しい家族に迎えられました。
そのうちで、私が知る限りで戻された犬(お試し期間を除く)はわずか数頭です。

私自身がやっていることとしては、最初は掃除や散歩の手伝いだけでしたが、ほどなくして「預かり」も始めました。

「預かり」は、飼うのではなく保護犬のままで自宅でその世話をすることです。保護犬の施設では様々なトレーニングが施されますが、そこでできない「実際の家庭」での環境に慣れさせることが目的です。といっても、実感としては普通に自分の犬のように可愛がって叱って遊んで生活するだけです。

その数が現在までで27頭。最近の犬は長生きするようになって、小型犬なら15年~20年は普通に生きます。それを27頭ということは、一頭ずつ飼っていれば400年ぐらいかかる話ですが、預かりならそれが3年ほどで経験できてしまいます。色んな種類、いろんな性格の犬と一緒に暮らすというのは、本当に面白いですね。一緒に暮らしていた犬がいなくなるのは寂しくないですか?とよく聞かれたりしますが、これは嬉しくて寂しくて嬉しい不思議な感覚です。教師が卒業生を送り出すのに似ているかもしれません。

今、日本でも多くの保護団体が、死に直面している犬をなんとか一頭でも多く救ってやろうと頑張っています。3万頭に近い保健所収容の犬を全部救うのは不可能に思えますが、それでもできる範囲で頑張っています。でも、もうちょっと輪が広がれば、決して不可能なことではないと思います。

伯友会の「犬好き」の皆さん、すでに犬を飼ってらっしゃる方、これから飼おうと思っていらっしゃる方、そのチョイスに是非「保護犬」を加えてやってください。
飼うっていう決心がつかない方、転勤が多くて犬を飼うのをためらっている方、海外赴任で犬を飼えないと思ってらっしゃる方、「預かり」って手があります。是非お近くの保護団体にお問い合わせください。
今日本で犬を飼っている世帯の数は約800万。このうちのわずか0.4%のお家が保護犬を迎え入れてくれることが出来れば、日本中の保健所が空っぽになります。
こうしてみると、決して不可能ではないと思うんですよね。

(41期:牧野明久)