2015年度18期会報告

日時:
7月4日
場所:
ニュ—ミュンヘン神戸大使館
出席者:
青木、池本、入江、太田、岡部、片岡、桂田、川合、塩入、下川、高田、高橋(庸)、谷川、辻川、中野(都)、長山、奈良、難波(正)、長谷川、早川、船井、道元、村田、山下

かつての「行進の勇者」も今やビヤ樽ポルカの旋律について行くのは、大変なこと!飲み放題のニュ―ミュンヘン神戸大使館での本年の18期会が、7月4日開催された。

24人の勇士が参加し、いつもながらの賑やかな会となりました。各人の近況報告を聞いていると、歳を重ねるごとに想像出来ぬほどの熟成振りで、人によっては熟れ過ぎて歯が抜け落ち、ヒザからボッキリ朽ちそうなご仁も見受けられたが、おしなべて熟成されたワインのように、年々人間性にコクと深さが刻まれているように見受けられました。その中でも遠路関東から参加した入江和朗君、辻川和伸君、高田潤一郎君、美濃からの長山光夫君、そして久方ぶりの塩入淳平君、山下晴朗君らの元気な姿を見て、本当に嬉しく感じました。

飲むほどに,酔うほどに、話題が母校の近況になると、みんなの母校愛は相当なもので、「現今 日本の教育の憂慮すべき状況下、日本の次代を担う人材を育てる為に、母校の存在に大いに期待する」というのが一致した結論になりました。母校に今ひとたびの奮起を促したいという気持ちは、英国の歴史家トインビーが言った「諸文明の没落は、宿命的、決定論的なものでもなければ、天災や外敵の侵入などの災害によるものでもない。それは根本的には「魂の分裂」と「社会の崩壊」による「自己決定能力の喪失」にこそある。」を借りれば、魂の郷―我が母校の健闘を今一度願い、その魂の復活の為にOBとしての力を注ぎたいという決意表明でもありました。ビールの心地よい酔いとともに身体の芯から暖まるような気分を味わいながらお開きになりました。

(船井 記)

第25回六甲伯医会懇親会

25回六甲伯医会、写真、15-6-27

第25回伯医会が井尻会長の下、古泉校長先生をお迎えして開催され、そこに参加させて頂きました。久しぶりに参加しましたが、全員六甲出身者だという安心感と懐かしさで、すんなりと皆さんの中に入り込む事が出来ました。私は長い間大学勤務をしておりました。その間、母校をはじめ、秋田大学、滋賀医科大学、大阪大学に授業に行きましたが、必ずと言っていいくらい六甲出身者がいたのを頼もしくも嬉しく感じたのを思い出します。平成20年10月から、神戸市立医療センター中央市民病院に迎えられ、8年目を迎えようとしています。当地に参りましてからも、神戸大学をはじめ、兵庫医科大学、また神戸市内外の病院に六甲出身の先生方が多く活躍しておられ、この間、多くの先生方のお世話になって参りましたが、当地に来させて頂きました事、あらためて感謝致しております。

さて、私たちの学年は、今年六甲卒業50周年を迎え、9月には母校六甲学院に集う事になっています。記念集を発刊するという事で、拙文を寄稿しましたので以下を記載させて頂きます。皆様の益々のご発展を心から祈念いたしております!

「六甲学院の思い出」

思いもかけず、六甲学院卒業以来43年ぶりの平成20年10月から、神戸市立医療センター中央市民病院に迎えられ、8年目を迎えようとしている。しかも、病院の宿舎が六甲学院の坂の中腹に位置していようとは、神様のいたずらには驚かされた!後輩達が坂を上ってくるのを見ながら、彼らの未来に幸多かれと祈るこの頃である。

私が、静岡大学付属島田中学二年の夏頃だったと思うが、両親から六甲中学3年への編入試験を受けるよう言われ、まだ中2の勉強をしているときに、六甲中学の2年、3年の勉強を3か月でするようにと六甲中学の教科書を渡された。数学はまだしも、古文、英訳には手を焼いたのを覚えている。

滝沢君、岩永君と私が編入を許された。六中3年時に編入しびっくりしたことが有る!それは、外人神父(ドカン)が関西弁でしゃべることであった!何れにしろ、中3春から高1の教科書を勉強するので、最初の3か月は皆に追いつくのに必死で、夏休みには、補習授業を受ける科目があったと記憶している。あの頃は、晩熟で身長も低く、前から4番目ぐらいで、漸く、夏過ぎ頃声変わりし始めたのを覚えている。高校1年時の頃には178センチほどになっていた。次第に自信を取り戻し、弓道部に入部し、部活にも気合が入り、友人に恵まれ、楽しい高校生活を送ることができた。

父親の仕事の関係で、転校には慣れていた。昭和27年4月に母親の里の東京から、京都府竹野郡和田村にある保育所に、28年から同村立溝谷小学校に通っていた。雪の降りしきる夜、両親から来年4月から、芦屋市立山手小学校に転校を言われ、ようやく楽しくなってきた田舎の生活に別れを告げ、大都会の小学校に通う事になった。芦屋に来ると私より勉強のできる子が居て、親から叱咤激励を受けたように思う。その年の秋頃、また両親から転校を告げられ、昭和30年4月から静岡県島田市立第四小学校に通う事になった。しばらくは、島田に住むことになり、大井川に魚釣りに行ったり、裏のがけ山に肝試しに友達と一緒に登ったり、焼津の浜に泳ぎに行ったり、真の小学校生活を満喫できた。中学は、静岡大学付属島田中学に入ることができ、県立静岡高等学校への進学コースにいた。この頃、父親は今までの数回にわたる、無医村に近い診療所廻りの教室人事から抜け出し、島田市長の要請で、市立島田市民病院院長に就任していた。ところが、この父親は、あらぬことを考えていた。エチオピア皇帝の侍医に応募していたのだ!京都大学の恩師に報告に行ったが、将来政変の危険性があると指摘され、その思いを断念せざるを得なかったようである。既に市長に辞表を出しての決意であったらしく、新たな職場探しをしなければならず、結果として、その煽りを食って、私が六甲中学の編入試験を受けざるを得なかったわけである。私としては、ここで良き友に会うことができた訳で良かったと思っている。実は、静岡時代に神父になるように勧められた私には、武宮隼人校長、武庫和照S.J.の出会いに特別な思いがあるが、それは50年前の思い出にしたままが良いと判断した。皆様のご多幸を祈念する。

【文責:22期 北徹 京都大学名誉教授・神戸市立医療センター中央市民病院長】

フリン先生を偲ぶ会(東京、神戸)実施報告

2015年2月8日(日)、四谷イグナチオ教会でフリン先生6周年の会を行いました。今年は例年と違って、地下のクリプタで35期の英神父司式追悼ミサに与り、各期の自己紹介をしたあと、お墓参りをしました。
聖堂の前で全員写真を撮った後、近くの中華料理店(京華園)で懇親会をしました。懇親会の参加者は合計30名でした。17期 6名、23期 9名、29期 2名、35期 12名、41期 1名(41期から初めて参加)

フリン先生を偲ぶ会(東京)20150208

2015年6月27日(土)、第1回の関西でのフリン先生を偲ぶ会を母校の別館(フリン先生遺品展示室、お御堂)、及び、三宮のしゃぶ禅(懇親会)にて行いました。

まず、フリン先生遺品展示室の掃除から始まり、お墓の掃除をするつもりで、落ち葉まで入り込んだ遺品展示室の掃除、床拭き、トイレ掃除まで行いました。次いで、お御堂にて東京からおいでいただいた井上潔神父様にフリン先生をしのぶごミサをあげていただきました。フリン先生の経歴や六甲での30年に及ぶ教師生活、上智福岡中学高等学校(泰星学園)に移られた経緯などをお話いただきました。

また、懇親会の参加者は20名でした。(井上先生、17期 3名、23期 1名、29期 12名、35期 1名、41期 2名)懇親会では、参加者よりフリン先生の思い出やエピソードを語って頂きました。想定外の話題が多数紹介され、期を越えた貴重な情報共有が出来ました。

フリン先生を偲ぶ会(神戸)20150627

来年も、2月初旬に東京で、6月下旬に神戸で開催します。各期の世話役の皆様(17期 福田信三様、35期 加門正之様、41期 藤本勝様)には、引き続き、お世話になります。よろしくお願いします。

文責:23期 大谷 秀二(東京)、29期 松本 宏(神戸)

OB講演会

濱名 篤 氏(32期)による講演会

32期 濱名 篤 氏

2013年度から社会の現場で活躍されておられるOBの方々に講演をお願いしております。今年度は1学期の講演会を6月26日(金)の6校時、高校1年生全員を対象に講堂で行いました。

◎濱名 篤 氏(32期)による講演会

「六甲で培ったリーダーシップと『高大接続という課題』」についての講演会を行いました。濱名様は学校法人濱名学院理事長・関西国際大学学長としてご活躍中ですが、文部科学省中央教育審議会の臨時委員や、独立行政法人大学入試センター運営審議会副議長等もつとめられております。

前段では、六甲学院での強い信念をもった先生や個性の強い友人との出会い、大学選びにあたり考えたこと、上智大学進学後の経験及びその後の進路を考える際のできごと、大学教員、学長、理事長としての大学づくりから運営にあたるまで等のお話がされました。六甲学院では、他で見られない力のある先生や生徒が多く、自らも「何か他より優れるもの」を見つけることの大切さについての話もされました。

本題の「高大接続という課題」については、今後行われる大学入試制度の変更が、戦後・明治以来の大改革となる可能性があること、これからの時代は「知識・技能」だけでなく「考える力」をつけ、それを「表現する力」がこれまで以上に求められていること等が話されました。

終了後の質問に答える際には、今後の大学の3種類の方向性(世界最高水準の教育研究、特定の分野での世界的な教育研究、地域活性化の中核)についても話がなされ、自分のやりたいことをよく考えて、それに合った大学を選ぶべきとの話がされました。

六甲中学校六甲高等学校

ロサンゼルス懇親会

ロサンゼルス伯友会

開催日:
2015年6月20日
場所:
Sea Empress Seafood Restaurant(ロサンゼルス郊外ガーデナ市)
参加者:
時計周りに(敬称略させていただきます。)
15期 藤野秀樹、50期 小川浩二、35期 瀬戸二郎、10期 植村信也、12期 多木温久、29期 岡田健一、10期 五明洋、41期 牧野明久、42期 森下秀明、35期 陳敏生

今回は、南カリフォルニアとニューヨークからの参加がありました。3名の先輩、多木さん、瀬戸さん、陳さんが初参加してくださいました。場所は前回と同じ中華料理のレストランでした。
まずは、植村先輩の乾杯で始まり、新しい顔ぶれがいるために、各自自己紹介となりました。

植村さんが、アメリカの日本語新聞で紹介された、模擬国連の記事を持ってこられて、六甲生が頑張っていることを皆で喜びました。

今回はレストランのプロの五明さんと瀬戸さんとが参加されたので、レストラン、日本食談義にも花が咲きました。
アメリカでは、「神戸牛」として売り出されているものでも、実際には日本から輸入された宮崎牛だったりして、「日本の牛」=「神戸牛」となってしまっています。
また、「神戸牛」といっても、種だけが持ち込まれて、アメリカのメス牛と生まれたハーフでも「神戸牛」として売られています。

また、アメリカに住む日本人の年金受け取りに関しての話も盛り上がりました。海外に住む日本人にとって、日本で支払った年金を受け取るシステムは分かりにくく、国籍の問題もありさらに複雑になります。

駐在や留学で来られている方には、運転免許の取得も難関のひとつです。ニューヨークでは、普通のクレジットカードが運転免許取得の身分証明書の一つとして認められているそうで、カリフォルニアには無い制度なので少し驚きました。

カリフォルニアには、アメリカ生活が長い、経験豊かな卒業生がたくさんいます。留学、駐在、旅行でアメリカに来られる際は、是非お知らせください。歓迎会をさせていただきます。

連絡先: morishita@mmsystems.com 森下

よろしくお願いいたします。

森下秀明 記

17期:「いいな会」ゴルフコンペ

日時:6月12日(金)9時03分〜インスタート
プレーコース:太平洋クラブ有馬コース
参加者:(13名)岸庸由、森建三、南谷雅彦、反橋徳久、岡本征一郎、鈴木清、志方啓祐、高田友昭、菅健司、鈴木一生、徳大寺輝麿、大村忠正、福井靖二、(ほか1名)
幹事:岸、反橋
成績優勝:南谷雅彦、準優勝:森建三、3位:鈴木清
次回:9月11日(金)9:03アウト・スタート(5組)太平洋クラブ有馬コース

いいな会20150612

梅雨時にもかかわらず、参加者の日頃の精進が良いのか、雨に降られることもなく、楽しくプレイができました。日頃の運動不足解消とばかり張り切りましたが、寄る年波には勝てず大たたきの連続でした。その中でステディなゴルフをした南谷君が念願の「初優勝」を成し遂げ、多額(?)の賞金を獲得しました。

次回もより多くの参加者で、盛大な会としましょう。

NT記

山岳部OB 22期の立山登山

22期の元山岳部員はほぼ5年おきに山で集まっている。2004年10月には摩耶山のシェル道でキャンプをし,2011年5月には信州田沢温泉に行き,今年(2015年)は,北陸新幹線も開通したので立山に行くことになった。みんなで立山に行くのは,高2の合宿以来52年ぶりだ。

6月9日12:30に富山駅に集合した。50年前とほとんど変わっていない地鉄,ケーブルカー,バスを乗り継いで,一面雪景色の室堂平に着いた。30分ほど歩いて,ミクリガ池と雷鳥沢との間にある雷鳥荘に投宿,さっそく,露天温泉につかったあとビールで乾杯。山小屋ではあるが,実質的には旅館で快適である。

翌朝(6月10日)は快晴で07:25出発。6月の適度にしまり適度にくさった雪の上を歩いて9時過ぎに一ノ越着。風がそこそこ吹いているが後立山から槍までよく見える。ここに来るまでにすでに遅れていた,歩くのがいやな投石と腹の出た岩田はここから引き返す。ほかの4人,いまでも日高の沢登りや山スキーをしている岸本,中年登山を着実にこなしている出雲路,自転車ツーリングとマラソンでアスリート体型の飯国,日頃乗馬で鍛えている前田は,雄山へと急な尾根を登っていった。雄山着10:40,縦走路を北へ進んだ。投石と岩田が雷鳥荘の前で昼飯を食べていると,4人が富士ノ折立の下の稜線に現れた。真砂岳の手前の大走り分岐(12:50)から下り,まっすぐに大きな雪の斜面を雷鳥沢へと走り降り,14:40に雷鳥荘に帰着した。

翌朝は一番のバスで下山し,千寿ケ原の立山カルデラ砂防博物館を見学し,富山から新幹線で信州上田まで脚を伸ばし,筑摩山地東麓の岩田の住処で反省会を開き,翌12日の朝,解散した。

下山の朝,雷鳥荘の前で.左から岩田修二,飯国泰男,投石保広,岸本正彦,出雲路敬明,前田正,左側背後の山は大日岳

下山の朝,雷鳥荘の前で.左から岩田修二,飯国泰男,投石保広,岸本正彦,出雲路敬明,前田正,左側背後の山は大日岳

13期同期会だより

13期の同期会は、今年も東京、神戸で、夫々、4月、6月に、開催されました。

東京では、森田君・三池君が世話人となり、4月11日(金)に「銀座資生堂パーラー貴賓室」で開催、神戸から、浅沼幹事、余田夫妻も参加し、総数12名の、昼食懇談会となりました。冨本・三好両君が亡くなられた以降は、幸い、鬼籍に入られた方はおりません。キューバ関係の商社を経営する、松田君から、キューバのお酒の寄贈もあり、出席者夫々が、近況報告を行い、来年も、元気で再会できることを願って、散会となりました。

2015・6・8 005

神戸では、6月8日(月)5時―8時「西村屋和味旬彩」に29名が集まりました。昨年7月に亡くなられた播磨君を偲び、東京から来神してくれた森田君の献杯でスタート、浅沼幹事から、伯友会総会や会員の健康状況等の報告の後、ゴルフ幹事浜田君の、実施状況報告、同窓会参加者全員の近況報告、等、和気藹々とした、交流会となりました。中高・6年間を一緒に過ごした仲間ですが、一人一人のコメントを聴くと、現役で頑張っている人、幅広く趣味を楽しんでいる人、健康を害した人、配偶者を亡くされた人、人生様々であることを実感しました。喜寿を迎えた世代ですが、お互いに、心身の健康に留意し、まだまだ、年一度の集まりは続けることで、一致しています。いつも名古屋から駆け付けてくれる石田君の、今年も元気な一本締めで、散会、夫々、2次会に流れました。

(13期幹事  浅沼清之 記)

17期:いつもの会

【6月例会】
日時:H27年6月2日(火)15:00〜宿泊、
場所:ダイハツ健康保険組合「ラコンテ有馬」
会費:宿泊費8,600円(晩飯と朝食代を含む)+酒代+カラオケ(予約済)+麻雀(自動式予約済)など。均等割で12,000円程度か。

いつもの会20150602有馬

【6月ゴルフコンペ】
日時:H27年6月2日(火)9:03INスタートx3組
場所:神有カントリー倶楽部、
会費:6,400円+消費税、7,000円程度

いつもの会20150602ゴルフ

6月2日、3日とご苦労さまでした。
夜中12:00前までの麻雀組。12:00過ぎまでのカラオケ組ご苦労様でした。

先程梅田に着いたら,鈴木清さんから「ラコンテ有馬」がカーナビに入らない理由がわかったとのこと。小生の案内書の「ラコンテ有馬」の電話番号が間違っていました。皆さんのカーナビが悪いのではありません小生のミスが原因です。高田さんのカーナビ―大丈夫です。徳大寺さんからもカーナビに入らないとコメントをもらっていました。申し訳ありませんでした。

今後の予定:
①平林さん、加茂川の川床の可能性の確認願います。
祇園祭が7月1日から始まり、7月21日まで行事一杯。難しいか?
②岸さん、反橋さん、福田さん三宮の貿易センタービル8月1日の(土)の花火大会の見学可性を確認

今回の「ラコンテ有馬」の会費は皆様の協力(ゴルフ罰金)多くして、10,000円で収まりました。

以上、電話番号の誤りのお詫びと、ゴルフで皆様のご協力多かった事でで会費が少なくて済んだことをご報告します。

大阪上本町の暇人